素読のすすめ 第53~60回
これも人柄をいう言葉。生れつきの良いものがそのまま自然にあふれ出ていること。
「天真」は、天から与えられた人の本性。杜甫の李白を
四字連なった用例は、明初頭の「
鑑賞
詩は
〔四言古詩〕
春風がのどかに吹くさま。転じて。人柄が明るくゆったりしているさま。
「駘」の原義は、のろい馬、「蕩」は広く流れる水の意だが「駘蕩」と連ねて「広く大きいーのどか」の意となる。タイタウ(トウ)と音がそろう。
「
「春は名のみの風の寒さや」(早春賦)という歌もある。「春風駘蕩」となって初めて春本番となる。
(一)
大意
ひとひらの花が飛び散っても春はそれだけ衰えてゆくのに、まして風が万片の花びらを吹きたゞよはすときこそ人の愁を誘わずにはおかぬのだ。
しかし まあまあ散り尽くそうとする花が眼の前を過ぎ去るのを眺めるとしよう。
また過ぎるといって非難される酒を今日は口につぎこむことをいとうまい。
川のほとりの小さな
物の道理を子細に推し測ってみるのに、人生はおもしろおかしく暮すべきもの虚名にこの身もしばられるのは無用のことのようだ。
○この曲江は池の名、長江の東南隅にあたる景勝の地で、ことに春は長江市民の行楽の地として賑わった。
○物理は、万物を支配する根本原理。杜甫は万物必滅こそそれだといいたいのである。
(二)
大意
毎日朝廷から退出すると春着を質におき、曲江のほとりで酔いしれてから家に帰る。
酒手の借りはあたりまえのことで、行く先き先きにあってよいが古来七十まで生きる人はめったにない。
花のしげみをぬってゆくちょうちょうは奥深くに見え、水に尾をたたくとんぼはゆるやかに飛んでゆく。
春の景色にことずてしょう。私もおまえも、ともに時間の上を流転しつつ、しばしお互いに大切にしあって、そっぽをむかぬことにしよう。
○朝・朝廷
○典・質におく
○酒債・酒の借金
○奌水・水面に尾をぱちぱちとたたく
○蜻蜒・とんぼ
○風光伝語・春の景色にことずてする
○共流転・風光は自分とともにおしうつって行く
○相違う・たがいにそむきあう
五日に一度風が吹き、十日に一度雨が降る、気候が順調なこと。豊年の兆し。転じて世の中が大平なこと。後漢の学者
「風は
中国では五日を
春は立春から始まり・
夏は立夏・
秋は立秋・
冬は立冬・
春の夜の雨を喜ぶ
よい雨は降るべき時節を知っており
春になると降り出して、万物が萌えはじめる
雨は風につれてひそかに夜まで降りつづき
こまやかに音もたてずに万物を潤している
野の小道も雲と同じように真黒であり
川に浮かぶ船のいさり火だけが明るく見える
夜明けに赤くしめりをおびたところを見るならば
それは錦官城に花がしっとりぬれて咲いている姿なのだ
○詩句の中に「喜」の語は一つもないが、錦官城(錦城=成都)の町いっぱいに咲く花に目を細めている姿が偲ばれる。
第七章 自然と人生
この章では自然の移り変りゆくさまを見つつ わが人生について考えてみることにしましょう。
寒い日が三日続くと、次に暖かい日が四日続くこと。晩秋、冬、初春の候をいう。気象用語で特に出典というものはない。元来は北国の気候についていう語。中国の北部、東北部(昔の満州あたり)韓国などでよく用いる。
寒さも三日がまんすると暖かさがきてホッとするが、暖かい日を思うとまた寒さがぶりかえす。
季節的には、冬の寒さから一進一退しつつ春の暖かさへ向う時候にいうことが多い。イギリスの詩人シェリーの句という「冬来たりなば春遠からじ」に通う。春めく心。
春の夜明け
春の眠りは心持よく、夜が明けたことにも気づかない
あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえてくる
昨夜からの風と雨で
咲いた花が、どれほど散ってしまったことだろうか
鑑賞
春のおだやかな気象の中で、静かに移りゆく花鳥の生の営みに対する作者の優しい心使いが伝わってくるようです。
ぐずぐずして煮え切らない。決断力がないこと。
「優柔」はユウジュウと音のそろう
もともとは優しい、おとなしい、ゆったりしているなど、良い意味の言葉だったが、ぐずぐずする、ためらうなど悪い意味に変わったようだ。
実はこれに似た言葉に「
四字熟語としても「優游不断」が「漢書」に見え、決断力のない意味に用いている。
優游と優柔は音も似ており、いつの間にか混同して用いられたのでありましょう。
「論語」衛霊公第十五
どうしよう、どうしようと言って、一生懸命その方向に向って努力しようという気がなければ、何とも手はつけられない。とても始末にはおえない。
孔先生は、終始門人を引き立てるにも、頭からしまいまで、噛んでふくめるようにお話はしないのです。必ず一隅を示して、三隅を以って省りみなければ
古いやり方や考えになじんで
「
「
宋(中国の河南省にあった国)の人で、田を耕す男がいた。田に木の切り株があり、たまたま兎が走ってきて株に触れ、首を折って死んだ。それからというもの、男は
得られる筈もない兎をただ待ち暮らす、そのように成果が期待できない古いやり方を頑固に通す者を「守株」という。
北原白秋作詞、山田耕筰作曲で「待ちぼうけ」という歌になっている。
「
○宋人・宋の国の人。「宋」は春秋戦国時代の国名
○田 ・耕作地。畑。
○触株・切り株にぶつかる。「株」は木を切りたおした残りの部分。切り株。
○因 ・それが原因で。そこで。
○釈 ・捨てる。放り出す。
○耒 ・すき。手に持って田畑を耕す農具。
○守 ・見張る。番をする。
○冀 ・願う。望む。
○不可復・決して……できない。
○為宋国笑・宋国(の人々)に笑われるの意。
自分を大切にせず、なげやりにする。やけになる。
「
日常では受験に失敗して遊び
―自ら
…論語にこんな一章があります。
「論語」雍也第六
大意
冉求が、先生の教えてくださる道(生き方)を心から喜ばないわけではありません。どうも私の力がそこまでは及ばないのです。といって嘆息したのです。そこで孔先生が言われるのに、力が足らなければ途中でゆき倒れになる。お前は途中で打ち切って、画す――ここまでといって自分で決めこんでいる。どこまでも自分の力の限り進むという気がなくて途中でお前は止めているのだ、それではいけない、といって激励されたわけです。
自分の全力を尽くしてやるだけやるという精神がなくてはいけない。
もうとても私にはできないといって途中で止めてはだめだというおさとしの言葉です。
世の中が移り変って少しも同じ状態にとどまらないこと。無常で、はかない。四字の熟語としての古い用例は見当らない。仏教で、もろもろの因縁が生ずる現象を「
わが国の「太平記」に「有為転変の世の習い、今に始めぬことなれども」とあるように、これらの言葉はわが国の文学に溶けこんで耳に親しい。
○蘇台は、いまの江蘇省州府呉県の西南、始蘇山上にあった。
○覧古は、古蹟をたずねて昔をしのぶ。
大意
ふるい庭園。荒れはてた高台。ただ楊柳だけが青青と新しい。ひしの実をつみとる歌の清らかな合唱をきくと、うつくしい春の季節が悩ましくてやりきれない。
いまはただ、西の大川の月があるだけ。むかし呉王の宮殿の中の美人を照らした、あの月が。
鑑賞
紀元前五世紀、いまの江蘇省南部にあった呉の国と、浙江省の北部にあった越の国とは、隣り合せでしかも仲がわるかった。はじめ呉が越を討とうとして失敗し、王は戦死した。王子の夫差が即位し、名臣伍子胥の補佐をうけ、復讐を志し、朝夕、薪の中に臥し、人が部屋を出入りするごとに言わせた。「夫差、おまえは越のやつが父を殺したのを忘れたか!」とうとう越を破り、越王を会稽山で降参させたが、助けてはいけないという
「わが墓に檟(えのき)を植えよ。檟は(呉王の棺桶の)材料になるであろう。わが目の玉をくりぬいて東の門に懸けよ。越の軍隊が呉をほろぼすのを必ず見るであろう。」かれはこう言い、自ら首をはねて死んだ。夫差は、馬の皮でつくった袋にその屍をつつみ、揚子江へ投げこんだ。
夫差は堕落した。始蘇台というゼイタクな宮殿をきずき、越から贈られた絶世の美女、西施を愛して遊びたわむれた。
二十年後、着々と国力をたくわえた越は、呉を討った。呉は連戦連敗、夫差は始蘇台上に和睦を請うたが、越の智将范蠡はききいれなかった。夫差「子胥にあわす顔がない」といって顔を布で包んで死んだ。
苦心のすえ、会稽の恥をすすいだ越王勾践も、そののち、呉王夫差の道をたどり、ゼイタクな生活におぼれ、越の国もやがて滅びてゆくのであった。
○鷓鴣 越の国で産する鳥で、うずらに似てやや大きく、なき声が非常にかなしいという。
大意
越王勾践は嘗胆の苦心のすえ、呉をやぶり、会稽山の雪辱をとげて帰った。二十年雌伏の間、忠義をつくした勇士たちも、皆恩賞に浴し、錦の着物をきて故郷にかえった。越王の宮中の女は咲く花のように、春の御殿に満ちあふれた。
いまはただ、越の鳥の鷓鴣が飛びまわっているだけである。