トップページ > 素読のすすめ

素読のすすめ

平成31年3月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第40回 『抜山蓋世』ばつざんがいせい

読み下しでは「山を抜き世を(おお)う」と読む。意気盛んなこと。英雄の気概をいう。
戦い利あらず敗退した項羽は八百余騎を従えていったんは脱出したが、翌日、漢軍に突入し、みずから首をはねて三十一歳で死んだ。

楽しい素読
英雄の気概が伝わってまいります。

  烏江亭(うこうてい)(だい)す(唐)杜牧
勝敗(しょうはい)兵家(へいか)(こと)()せず
(はじ)(つつ)(はじ)(しの)ぶは ()男児(だんじ)
江東(こうとう)子弟(してい) 才俊(さいしゅん )(おお)
巻土重来(けんどちょうらい)(いま)()るべからず

     烏江亭に書きつけた詩
勝敗は兵家の常だが結果は誰にも予期できない
敗れても恥を忍んで踏ん張るのが男というものだ
江東の若者には優れた者が多いから
もう一旗あげていたらどうなったか分からなかった

大意
「烏江亭」は安徽省和県の東北、長江北岸にある宿駅。史書によると、項羽が敗軍を率いて烏江にたどり着いたとき、亭長(宿場の長)が船を用意して待っており、「江東(今の江蘇地方)は千里四方の面積と数十万の人口があり、王となって治めるには十分です。ただちにお渡りください。船はこれしかありませんから漢軍が来ても渡れません。」と勧めると、項羽は「天が私を滅亡させようとしているのだから、江東に渡ったところでどうなるものか。しかも、私はかつて、江東の子弟(若者)八千人と長江を渡って西に行ったのに、いま一人の帰還者もいない。かりに江東の父兄たちが。同情して私を王として立ててくれたとしても、私は何の面目があって彼らに会えようか」と、断り最後の一戦に赴いたという。

平成31年3月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第39回 『虞美人草』ぐびじんそう

前回の「四面楚歌」に続く故事から生まれ、多くの人々の口の葉に語り継がれた言葉である。
訳別の詩を吟じ終るや虞美人は項羽に宝剣を乞うて、「なんでおめおめと生きておりましょう」と自ら軟肌に突き立て自決してしまった。虞美人の鮮血が飛び散った土の上に、やがて廻ってきた春、端麗な花が開いた。その花は虞美人の在りし日の姿のように美しく眞赤に血のように紅く悲しげに風にゆれていた。人びとは、この花を虞美人の生れかわりと信じ虞美人草(ひなげし)と呼んだ。

楽しい素読

三軍(さんぐん)(さん)()きて旌旗(せいき)(たお)
玉帳(ぎょくちょう)佳人(かじん) 坐中(ざちゅう)()
香魂(こうこん)(よる)剣光(けんこう)()って()
青血(せいけつ)()して原上(げんじょう)(くさ)となる
芳心寂寞(ほうしんせきばく)として寒枝(かんし)()
旧曲(きゅうきょく)()(きた)りて
(まゆ)(おさ)むるに()たり
哀怨徘徊(あいえんはいかい)して(うれ)えて(かた)らず
(あたか)(はじ)めて楚歌(そか)()きし(とき)(ごと)
   北宋・曽鞏(そうきょう)「虞美人草」

大意
(全軍ことごとく(おく)れて軍旗倒れ、玉帳の佳人は敗戦の悲しみに色(あお)ざめて、いながらにして()けてしまった。その香魂は、夜陰、一閃の剣光とともに飛び、その碧血(へきけつ)は化して原頭の草となった。
いま、佳人の魂はわびしげに、この()むざむとした枝に宿り、(くれない)の花には、項王の歌った「抜山蓋世(ばつざんがいせい)」の歌を傷ましげに眉をひそめて聞いていた、あの時の虞美人さながらの風情(ふぜい)がある。
さもあらばあれ、哀愁を抱いて原頭をさ迷う佳人の魂は悲愁のあまり語ろうとはしない。四面の楚歌を聞いたあの敗戦の夜のように。)

平成31年2月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第五章 故事歴史に学ぶ
第38回 『四面楚歌』しめんそか

 “漢楚の興亡”の歴史の中から生れた言葉
「四面楚歌」は、自分の周囲はみな敵、敵に囲まれて孤立するという意味に用いられる。

楽しい素読

(ちから)(やま)()き ()()(おお)
(とき)()あらず (すい)()かず
(すい)()かざる 奈何(いかに)すべき
()()や (なんじ)奈何(いかん)せん
      <項羽>

故事
()覇王(はおう)項羽(こうう)は、漢王(かんおう)劉邦(りゅうほう)と五年にわたって天下の覇を争ったが、「力」と「気」だけにたよって范増(はんぞう)のような謀将(ぼうしょう)にまで見限られ、しだいに劉邦に圧されて、ついに天下を二分してこれと講和したが、張良(ちょうりょう)陳平(ちんぺい)の計略によって、東へ帰る途中、垓下(がいか)(安徽省霊璧県の東南)で韓信の指揮する漢軍の重囲に陥ってしまった。漢の五年(BC202年)のことである。
項羽は戦いに敗れて、兵少く、食尽きていた。やがて夜になった。するとどこからともなく歌声が起ってきた。あるいは遠く、あるいは近く、東からも、西からも、北からも、南からも、歌声は起ってくるではないか。耳を傾けると、それは楚の国の歌なのだ。張良の計略であった。はたして楚の出征兵―農民たちは、なつかしい故郷の歌声をきいて、望郷の思いにかられ、戦意を(くじ)かれて脱落していった。漢軍にくだった楚の九江の兵たちが歌ったものだった。
項羽は四面楚歌(しめんそか)するのをきいておどろいていった。
「漢はもう楚を取ってしまったのか。なんというおびただしい楚人だ。」
四面楚歌―孤立無援の重囲に陥ったのだ。もはやこれまでと思った項羽は、起きて(とばり)のなかに入り、訣別(けつべつ)の宴を張った。
項羽の軍中に虞美人(ぐびじん)という寵姫(ちょうき)がいて、影の形にしたがうようにいつも項羽のそばをはなれなかった。また(すい)という駿馬(しゅんめ)がいて、項羽はいつもこれに乗っていた。項羽は虞美人があわれであった。かれは悲歌慷慨(ひかこうがい)して、みずから詩を作って歌った。―

  (ちから)(やま)()き、()()(おお)
  (とき)()あらず、(すい)()かず
  (すい)()かざる、奈何(いかに)すべき
  ()()や、(なんじ)奈何(いかん)せん

虞美人もまたこれに和して歌う。

  漢兵(かんぺい)(すで)に ()(りゃく)
  四方楚歌(しほうそか)(こえ)
  大王(だいおう)意気(いき) ()きぬ
  賤妾(せんしょう)(なん)ぞ (せい)(やすん)ぜん。

大意
私の力は山をも抜き、意気は世を蓋うほどだったが、時に恵まれず、愛馬も進まない。愛馬が進まなければどうしようもない。虞美人よ、お前をどうしよう。……虞美人はこれ和して剣舞を舞いつつ吟じた。漢兵(劉邦の軍勢は)已に楚の国まで奪いつくしてしまった。四方八方楚人の声で埋めつくされている。項王の意気もなくなってしまった。どうして私などがおめおめと生きておりましょうか。

平成31年2月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第37回 『四海兄弟』しかいけいてい

 世界中の人は、みな兄弟のように親しいこと。「論語」に基づく語。孔子の弟子の司馬(しば)(ぎゅう)が「人はみな兄弟がいるのに、私一人いない。」と嘆いた。それに対して相弟子の子夏(しか)が「君子たる者は、行いを慎んで、落度が無く、人と交わるのに(うやうや)しく礼を守れば、世界中の人はみな兄弟になる。どうして兄弟のないことを心配することがあろうか。」と答えた。

楽しい素読

司馬(しば)(ぎゅう)(うれ)えて()はく、(ひと)(みな)兄弟(けいてい)あり、(われ)(ひと)()し。子夏(しか)()はく、(しょう)(これ)()く、()生命(せいめい)あり、富貴天(ふうきてん)()り。君子(くんし)(けい)して(うしな)うなく、(ひと)(うやうや)しくして(れい)あらば四海(しかい)(うち)(みな)兄弟(けいてい)たり。君子(くんし)(なん)兄弟(けいてい)なきを(うれ)えんや。
   「論語」顔回第十二

大意
○商=子夏の名
○死生命あり=死ぬも生きるも天命で決まっている。
○富貴天に在り=財産も地位も天が与えるものだ。
○敬して失うなく=いつも慎み深くして過ちをしない。
○恭しくして礼あらば=人との交際には、行き届いて敬意がこもっていて、礼儀正しければ。
○四海の内=世界中の人々は

平成31年1月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第36回 『浩然之気』こうぜんのき

天地に満ち満ちた広々とした気。大いなる元気。「孟子」下記に見える語。
※道義に合った正しい心を持っていれば、大きな元気となるという語。広い大きな心、世俗に染まらない純粋な気分という意味ですから、この文章は特に朗らかに、晴れ晴れとした気分で何十ぺんでもくり返し朗唱してもらいたいものです。

楽しい素読

()はく、()()ふを()()()()浩然(こうぜん)()(やしな)ふ。()えて()ふ。(なに)をか浩然(こうぜん)()といふ。()はく()(がた)きなり。()()たるや至大(しだい)至剛(しごう)(ちょく)をもって(やしな)いて(がい)する()ければ(すなは)天地(てんち)(かん)(ふさ)がる。()()たるや()(みち)とに(はい)()()ければ()うるなり。
   「孟子」公孫丑章句 上

大意
私は自分の浩然の気をよく養う。それはもっとも大きく、もっとも強く(至大至剛)まっすぐでこれを養っていけば天地の間に充満する。この気は、義と道(道義)とに配合するもので、道義がなければ消えてしまうものである。

平成31年1月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第35回 『温厚篤実』おんこうとくじつ

穏やかで情が深く、誠実なこと
温厚は「礼記」(五経の1つ)に「天地温厚の気」という表現が見え、はじめは気候が暖かく和らぐことを意味していた。それがだんだん広がって、人柄や文章の調子など穏やかでじっくりしているのを表現するようになった。
篤実は、情が厚く物事に誠実なこと「剛健篤実」という語が「易経」の注に見え「篤実人」という評語が史書に見える。これらの用例を見ると芯がしっかりと強い、という意味も含まれているようだ。温厚篤実、志操堅固といえば、非の打ちどころがない。

楽しい素読

()()はく、「(けん)なるかな(かい)や。一簞(いったん)()一瓢(いっぴょう)(いん)陋巷(ろうこう)()り。(ひと)()(うれい)()へず。(かい)()(たのしみ)(あらた)めず。(けん)なるかな(かい)や。」
   「論語」雍也 第六

大意
一簞(いったん)()、食というのは、食べ物という時の食は、と読ませます。食べるという時にはショクです。
誠に顔回というのは賢者である。僅かな簞、簞というのは竹で造ったオハチだそうですが、瓢はヒョウタン、僅かに竹のオハチに御飯が入っており、それから何の飲み物か分かりませんがヒョウタンにあるだけ、といったまことに粗末な生活です。そして陋巷というのですから路地の奥でしょう。路地の奥に貧乏な生活をしております。あんな貧乏な生活をしておるならば、普通の人ならもう悲しくてたまらんだろう、ところが顔回は楽しむことを改めず、悠然として道を楽しんでおる。実に賢なるかな回や、とその立派なことを孔子は繰返してほめられております。
顔回が一体何を楽しんだかというような問題。これは顔回は、孔子のような立派な先生に終始ついて教えを受け、そうして、自分が立派な人間になるということの教養は、「(いかり)(うつ)さず、(あやまち)をふたたびせず」というような、それだけの教養もできておる人間ですから、貧乏なことなど気にならなかったのでしょう。住いが路地の奥であっても一向平気で、その楽しみはまことに立派でありました。
※別の言葉に言いかえるならば、顔回という人は、人格をきたえ磨くということに常に全精力を注いで他のことには一向気にしないでいたといえるのではないでしょうか。