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素読のすすめ

平成30年12月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第34回 『文質彬彬』ぶんしつひんぴん

バランスよく(あや)(きじ)が備わっていること
スポーツでむきむきだけではだめ、知識教養をひけらかすばかりではだめ、両方ともバランスよく備わってこそ「君子=立派な人格者」というわけです。

楽しい素読

()()はく、質文(しつぶん)()てば(すなわ)()なり。文質(ぶんしつ)()てば(すなわ)()なり。文質(ぶんしつ)彬彬(ひんぴん)として、(しか)(のち)君子(くんし)なり。
   「論語」雍也 第六

大意
孔先生がおっしゃるには「その人の質(生地)が文、言葉や動作(教養)を上廻るようであると野卑(やひ)である。野人。田舎者である。教養があっても素質(生地)がそれほどないのであると、ただの物識りである。
史というのは物書きの役人のこと。(慇懃無礼(いんぎんぶれい)な)役人のようになる。少し教養の足らない野人も困るし、あまり教養ばかりで内容のそれに伴わない物識りも困ったものである。その教養と素質(生地)とが、彬彬―丁度両方同じように混って平均して、しかる後立派な人格者、君子というべきである」と。

平成30年12月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第33回 『切磋琢磨』せっさたくま

互いに励まし合い学問を磨くこと
「切磋」とは、骨や角の細工をする時の工程で、鹿の角や象牙とかを細工する時、まず彫刻をするものの形を切り出す―それが「切」で次にそれを磋いて滑らかにする。これが「磋」です。
「琢磨」とは、玉や石の細工をする時、まず第一に(つち)とか、たがねとかで、石材を()って荒けずりの形を作り、次にそれを磨いて仕上げをします。これが「琢磨」です。
「切磋琢磨」とは、人間形成のためには、通りいっぺんの学びではなく、切っては(みが)き、琢っては(みが)くというふうに、第二次、第三次の修行、次から次へと「我づくり」の努力精進を続け続けてやまぬ姿をいいます。 

楽しい素読

()(いは)く、()淇澳(きいく)()れば、(りょく)(ちく)猗猗(いい)たり。()たる(くん)()あり。(せつ)するが(ごと)()するが(ごと)く、(たく)するが(ごと)()するが(ごと)し。(しつ)たり(かん)たり。(かく)たり(けん)たり。()たる(くん)()あり。(つい)(わす)るべからずと。(せつ)するが(ごと)()するが(ごと)しとは、(がく)()うなり。(たく)するが(ごと)()するが(ごと)しとは、(みずか)(おさ)むるなり。(しつ)たり(かん)たりとは(しゅん)(りつ)なり。(かく)たり(けん)たりとは威儀(いぎ)なり。()たる(くん)()あり。(つい)(わす)るべからずとは、盛徳至善(せいとくしぜん)(たみ)(わす)るる(あた)はざるを()ふなり。
  「大学」第二部 第一章 第四節

大意
中国最古の詩集『詩経』の中にこういう一文がある。
かの()の川の岸辺をみれば、緑の竹が勢いよく美しく茂っている。その緑の竹にもたとえたいような、洗練された立派な君子がある。しかし、その人となりは決して一朝一夕に出来たものではない。実に「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」という、いわゆる「切磋琢磨」の大努力によって完成されたものである。
(しつ)たり(かん)たり」は人格の静的表現のすがたのこと。
(しつ)とは大きい琴のこと、僴とは静寂とか清さを現します。つまり「瑟たり僴たり」は深沈重厚な人柄ともの静かな風格を兼ね備えた人を指す。
「赫たり、喧たり」は動的表現のすがたのこと。
赫はかがやく、ひかる。喧は言葉をもって堂々と論ずるの意ですから「赫たり、喧たり」は、ひとたび時あっていうべき場合に臨んでは立場を明らかにして、堂々と論述し、激論する姿を指します。
(つい)(わす)るべからず」とは、このようにすべてに行きわたって通じ、渋滞することのない、自然に相応する姿が現れる人物こそが「斐たる君子」であり、その人間的魅力、偉大なる大風格に対して、人々はこれを敬慕して忘れることが出来ない。
「学を道うなり」とは、学ぶ態度のこと。
「自ら修むるなり」とは、徳を修むる者の態度。
「恂慄なり」は、心を引きしめて深く慎しむこと。
「威儀」とは、誠の力が強く外に現れたもの。
「盛徳至善」とは、人格が完成し、徳が備わった「本物の人物」のことで、このような人は民が忘れることが出来ないというのであります。

平成30年11月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第32回 『莫逆之友』ばくぎゃくのとも

互いに意気投合し、信頼し合う友。親友。
「莫逆」は「ばくげき」とも読む。「(さか)らう()し」(対立することがない)ということ。
出典は『莊子』。「四人相視て笑い、心に逆う莫し、遂に相い与に友と為る」。という記述があり、その後の用例を見ると、このように三人、四人の仲間をいう場合に用いている。「莫逆の交わり」「莫逆の契り」などとも言う。
今日ではむしろ1対1のごく親しい友人の間柄について言う場合が多い。

楽しい素読

 忍藩藩校『進脩館』の藩儒 芳川波山が生涯の友であった斉藤陶皐の訃報を聞き、詠んだ詩があるので紹介しましょう。声に出して繰り返し読んでいると、その悲しみの様相が惻惻(そくそく)として伝わって参ります。

(友人陶皐の訃を聞き、(ひと)たび(どう)じて()えんと(ほっ)す。()()して以て哀歎(あいたん)(じょう)()る)

()(えら)んで(かつ)(とも)(まな)
(きゅう)(にな)って(かつ)(とも)(あそ)
寸陰(すんいん)にも書冊(しょさつ)()にし
(みち)(こう)じて(あえ)()まず
()(はなは)議論(ぎろん)(ちょう)
(われ)(ふで)(むく)ゆべき()
(たと)えば(かん)()(ごと)
優劣(ゆうれつ) 匹畴(ひっちゅう)するに(あら)
鹹酸(かんさん) (かえ)って()()
情意(じょうい) (おのずか)綢繆(ちゅうびょう)たり
坐臥(ざが) 一榻(いっとう)(おな)じくし
出入(しゅつにゅう) 一裘(いっきゅう)()
歓悲(かんひ) 相為(あいとも)(はか)
一旦(いったん) 梁木(りょうぼく)(こわ)
(てん)か ()(なん)(とが)ある
()(がく)  ()(いま)()らず
半途(はんと) 怮怮(ゆうゆう)()
(あい)(かえり)みて ()(ところ)()
漂然(ひょうぜん)として浮漚(ふおう)(ごと)
憤激(ふんげき)して蓬矢(ほうし)()
居諸(きょしょ) ()きて()まらず
昔者(むかし) 司馬遷(しばせん)
(こころざし)(いだ)きて探幽(たんゆう)(こと)とす
九疑(きゅうぎ)禹穴(うけつ)
足跡(そくせき) (あま)ねからざる()
(ここ)()いて行李(こうり)(ととの)
双鷹(そういん) (はじ)めて(こう)(だっ)
東海(とうかい)山陽(さんよう)
(さら)()九州(きゅうしゅう)(きわ)
間関(かんかん) 痩馬(そうば)(むち)うち
淼漫(びょうまん) 小舟(しょうしゅう)()かぶ
(ゆめ)()ゆ 山駅(さんえき)(てら)
(のぞ)みは(はる)かなり 海国(かいこく)(ろう)
(ひと)(おも)う 夜夜(やや)(つき)
(きゅう)(うら)む 処処(しょしょ)(あき)
(にな)()たり (しょ)(けん)
狂狂(きょうきょう)として荒陬(こうすう)(わた)
万里(ばんり) (いかん)悠悠(ゆうゆう)たる
(ろう)(のぼ)(なん)()するに堪えんや
帰来(きらい)荏城(じんじょう)(ほとり)
()()()ねて()(ひさ)
一身(いっしん) (きゅう)して(あだ)()
()() (すで)()(ふる)
(とばり)(おろ)(おし)えて束脩(そくしゅう)
(われ)()聘門(へいもん)せられ
(まさ)(あそ)びて忍候(にんこう)(つか)えんとす
(みやこ)()して(にん)(おもむ)くの()
(われ)(おく)る 土田(つちだ)(りゅう)
渡頭(ととう)亭子(ていし)()
離筳(りえん)珍羞(ちんしゅう)(きょう)
(われ)(すす)む (すべか)らく劇飲(げきいん)すべしと
会期(かいき) 自由(じゆう)ならず
泫然(げんぜん)として(こえ)(はな)ちて()
(なみ)()きて沙鷗(さおう)(おどろ)かす
一酔(いっすい)して()(ふる)いて()
回顧(かいこ)すれば水雲(すいうん)()かぶ
雲中(うんちゅう) (かげ)()るが(ごと)
(ちか)く (あと)(もと)むべき()
索居(さくきょ)すること幾寒暑(いくかんしょ)
音容(おんよう) 睡眸(すいぼう)(あらわ)
(ひと)()り (たちま)()(つと)
一慟(いちどう)して百憂(ひゃくゆう)()
(おも)う (かつ)(せい)離苦(りく)
()()死別(しべつ)にあらざるかと
相愛(そうあい) 友于(ゆうう)(ごと)
(あい)()りて両心(りょうしん)(とう)
(たれ)()()(あやま)ちを()せんや
(むね)(ふさ)がりて(ちょう)()えず
追憶(ついおく) (すで)往事(おうじ)
涙雨(るいう) (みだ)れて(おさ)まらず
(まど)(くら)くして(つき)暗澹(あんたん)たり
(はやし)()いて(かぜ)颼颼(しゅうしゅう)
(つき)()けて望盈(ぼうえい)()
(はな)()ちて春抽(しゅんちゅう)(むか)
游魂(ゆうこん) (まね)くべからず
一弁(いちべん) (かおり)()もて()
(たれ)()う 土壤(どじょう)(ひろ)しと
(いず)れの(ところ)にか()(うれ)いを(うず)めんや

大意
 かつて師を選んで、ともに山本北山先生に学ばんとして、笈を背負って江戸にやって来た。寸陰を惜しんで書物を手にし、道を探求して止むこともなかった。君は議論に長じ、私は筆を執ってこれに応じる力もなかった。たとえは茎と花とのようなもので、才能の優劣は比ぶべくもなかった。しかし辛さと酸っぱさが丁度調和するように、お互いにかえって仲が親密になり心が深く通い合った。起居には一つの寝床を共にし、出入には衣服を都合しあい、よろこびも悲しみも互いに打ち明け、金も借りたり貸したりして助け合ったものだった。ところが、突然に師の北山先生が亡くなられた。天は一体、何の咎を私たちに与えるのか。
 思えば、私たちはまだ学半ばの時に師を失って悲しみに堪えず、誰にも頼れないことになり、水の面にただよう泡のごとく、さてこれからどうしたらよいか途方に暮れたのだった。その間にも月日は空しく過ぎ去った。昔、中国で司馬遷は『史記』を書く大業を前にして、志を抱いて各地を巡り、九疑山から禹穴まで探訪したと伝えられている。そこで私たちも志を立てて司馬遷にならい、行李を調えて、くびきを解かれた二羽の鷹のように巡遊の旅に出ることにした。東海から山陽へ、さらには九州まで極めた。険しい道に苦しみながら馬に鞭を打ち、広々とした水に小舟を浮かべる旅で、夢も冷たい山国の寺や、眺めも果てしない海辺の宿にも泊まって夜を過ごした。人恋しい思いで、夜毎の月を仰ぎ、昔を顧みて至るところで秋を送った。この間、身辺にあったのは書と剣のみ。狂ったように辺境に宿を重ねた。もとより山水は好まざるにあらざるものであったが、それにしても万里の思いは限りない淋しさであり、楼に登っても詩を賦するに堪えない日日であった。
 やがてこの放浪の生活を打ち切り、江戸の町中に戻って来たが、互いに身すぎを立てるすべもなく、詩を作ったり書を講じたりして自活の道を探る暮らしであった。しかし間もなく君は名を挙げ、私塾を開くや束脩を納めて多くの門人が集まることになった。一方、私もお召しを受けて、忍城に仕えることとなった。
 私が江戸を離れる日、君は土田の流(戸田の渡し)まで送って来てくれた。渡し場近くに茶亭があり、別れの宴を開いて馳走を並べ、君は私にしきりに飲めと勧めてくれた。もうこれからはなかなか会う折りもないと言って、君は泫然として声を放って泣いた。その声は川辺のかもめを驚かすほどのものであった。
 窓辺は暗く月も薄い。林には恐ろしい風の音が過ぎてゆく。月は欠けても満ちることがあり、花は落ちても、再び春の盛りに逢うことが定めであるが、この私の恨みと悲しみは癒される日はないであろう。亡き魂は呼び戻すことはできない。謹んで香を焚いて祈るばかりである。地上は広いというが、一体、この愁いをどこに埋めることができるのであろうか。

平成30年11月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第31回 『刎頸之友』ふんけいのとも

『史記』に見える廉頗と蘭相如の故事から、生死をともにし、首を刎ねられても悔いのない程の親密な交友関係をさしてこういうようになった。

楽しい素読

趙王(ちょうおう)(かえ)る。相如(しょうじょ)をもって上卿(じょうけい)となす。廉頗(れんぱ)(みぎ)()り。()()はく、「われ(ちょう)(しょう)となって、攻城(こうじょう)野戦(やせん)(こう)あり。相如(しょうじょ)もと賤人(せんじん)、いたずらに口舌(こうぜつ)もってわが(かみ)()る。われこれが(しも)たるを()ず。われ相如(しょうじょ)()(かなら)ずこれを(はずか)しめん」。相如(しょうじょ)これを()きて、(ちょう)する(ごと)(つね)(やまい)(しょう)し、ともに(れつ)(あらそ)うを(ほっ)せず。()でて望見(ぼうけん)すればすなわち(くるま)()きて()(かく)る。その舍人(しゃじん)をもって(はじ)となす。相如(しょうじょ)()はく、「それ(しん)()をもってすら相如(しょうじょ)これを廷叱(ていしつ)し、その群臣(ぐんしん)(はずか)しむ。相如(しょうじょ)()なりといえども、(ひと)(れん)将軍(しょうぐん)(おそ)れんや。顧念(こねん)するに強秦(きょうしん)のあえて(ちょう)(へい)(くわ)えざるは、ただにわが両人(りょうにん)()るをもってなり。(いま)両虎(りょうこ)ともに(たたか)わば、その(いきお)いともに()きず。わがこれをなすゆえんは、国家(こっか)(きゅう)(さき)にして私讐(ししゅう)(あと)にすればなり」。()これを()き、肉袒(にくたん)にして(いばら)()い、(もん)(いた)りて(つみ)(しゃ)し、ついに刎頸(ふんけい)(まじわ)りをなす。
  十八史略「戦国の七雄 ―趙―」より

大意
秦の昭王との会談を終えて帰国すると、趙王は相如の功績を賞し上卿(上席家老)に取り立てた。そればかりか、同じ上卿である廉頗の上位に置いた。おもしろくないのは廉頗である。
「わたしは、趙の総司令官として攻城野戦に大功をたてた。相如はもともと卑賤の者、ただ口先だけのはたらきにすぎないのに、位はむこうが上だ。あんな男の下に置かれるのはわたしの恥だ。よし、相如に合うことがあったら、ただではすまさんぞ」
相如はこのことを人づてに聞くと、廉頗と顔を合わさないように心がけた。朝廷への出仕も、廉頗との序列問題が表面化しないように、病気を口実にして見あわせていた。
たまたま相如が外出したときのこと、遠くのほうから廉頗がやってくるのが見えた。と、相如はあわてて車を脇道に引き入れて隠れた。さすが家臣たちも恥ずかしくなった。
が相如は、家臣たちにいった。
「かの秦王を相手にしても、わしは官廷で堂々とわたりあった。その家臣など、まるで子ども扱いにしてやったものだ。そのわしがどうして廉将軍を恐れようか。わしはこう思っている。あれほど強大な秦があえてわが国を攻めないのは、廉将軍とこのわしが頑張っているからだ、と。いま両虎が戦えば、かならずどちらかが倒れる。わしがこんなふりをしているのは、個人の争いよりもまず国家の問題が肝心だからだ。わかったかな」
これを伝え聞いた廉頗は、肌脱ぎになって(いばら)(むち)を背負い、相如の家を訪れて詫びた。これを契機として、ふたりは仲直りし、以後は「刎頸(ふんけい)(まじ)わり」を結んだ。

平成30年10月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第30回 『君子三楽』くんしさんらく

君子の三つの楽しみ。『孟子』に見える語。
「君子」の意味はここでは徳を修める人。
徳とは生れつきではなく、学び練成するものでありリーダーに必須の条件である。

楽しい素読

孟子(もうし)(いは)く、「君子(くんし)三楽(さんらく)()り、(しか)して天下(てんか)(おう)たるは(あずか)(そん)せず。父母(ふぼ)(とも)(そん)し、兄弟(けいてい)()()きは(いち)(たのしみ)なり。(おふ)いで(てん)()じず、()して(ひと)()じざるは()(たのしみ)なり。天下(てんか)英才(えいさい)()て、(これ)教育(きょういく)するのは(さん)(たのしみ)なり。君子(くんし)三楽(さんらく)()り。(しか)して天下(てんか)(おう)たるは、(あずか)(そん)せず。」
   「孟子」盡心章句上

大意
孟子が曰う、「君子には三つの楽しみがある。そして天下に王となる事などは、それに全然関係しない。父母共に健在で、兄弟の間に何の事故もないというのは、まず第一の楽しみである。常に正しい行をしている為、仰いでは天に対して愧じる事がなく、俯しては人に怍じることがない、というのは、第二の楽しみである。天下の才智にすぐれた者を見出し得て、之を教育するのは、第三の楽しみである。君子には三つのかかる楽しみがある。そして天下に王となって政権をにぎるなどという事は、此の中には入っていないのである。

※君子に三楽あり、而して天下に王たるは與り存せずが二度重なる処に注意されたし。

平成30年10月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第29回 『水魚之交』すいぎょのまじわり

魚と水の関係のように、切っても切れない親しい交わり。『三国志』に見える話。蜀主劉備(りゅうび)が何事によらず諸葛孔明と相談し、極めて親密なので、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)は面白くない。ついあれこれ文句を言うと、劉備は「()(天子の一人称=わたし)に孔明がいるのは、魚が水を得たようなものだ。二度と文句を言ってはならぬ」とたしなめた。
魚は劉備を(たと)え、水は孔明を喩える。魚が自由に動けるのは水あってこそ。このように、もとは君臣の間柄が親密なことをいうのであったが、一般には上下の身分関係なく用いられる。
前回(第28回)の管鮑之交と同類だが、こちらの方は互いに相手を徳とする意味合いが強い。

楽しい素読

  蜀相(しょくそう)  杜甫(とほ)
丞相(じょうしょう)祠堂(しどう) (いづ)れの(ところ)にか(たず)ねん
錦官(きんかん)城外(じょうがい) (はく) 森森(しんしん)
(かい)(えい)ずる碧草(へきそう)は (おのず)から春色(しゅんしょく)
()(へだ)つる黄鸝(こうり)(むな)しく好音(こういん)
三顧(さんこ)頻煩(ひんぱん)にす 天下(てんか)(けい)
両朝(りょうちょう)開済(かいさい)す 老臣(ろうしん)(こころ)
()()だして(いま)()たざるに()()()
(とこし)へに英雄(えいゆう)(なみだ)(えり)()たしむ

(唐詩)

大意
    蜀の丞相
丞相を(まつ)った(びょう)は、どこに尋ねようか。
成都の城外、柏がうっそうと茂っている所。
石段に映える緑の草は自然のままに春の風情(ふぜい)で、葉かげのうぐいすは聴く人もないのに好い音色だ。
三顧の礼に感じて天下の(はかりごと)をしばしば献上し、二代に仕えて老臣の心を開いて国事を成した。
出陣して勝利を得る前に病没し、永遠に世の英雄たちに無念の涙を流させている。

「丞相」は、宰相。221年、蜀漢の帝位についた劉備は、孔明を丞相に任じた。「祠堂」は、孔明をまつる廟。武候廟といい、成都の西北二里、昭烈廟(劉備をまつる廟)の西にある。「何れの処にか尋ねん」は、どこに尋ねたらいいのか。自分に問うのである。「錦官城」は、成都の別名。蜀の特産である錦を管理する役所が置かれたことによる。「柏」は、ひのきに類した常緑樹。祠前に大柏二樹があって、孔明みずから植えたと伝えられていた。「森森」は、高くうっそうと茂るさま。第二句は、第一句作者の自問を受けて自答したもの自問自答しながら道を歩む作者の心は、敬慕する人物に出会えるようかのよう浮き立っている。
第三句、四句は、武候廟の中の情景。祠堂に昇る階段の周囲に鮮やかに茂る草は、世の栄枯盛衰とは関わりなく春の装いを凝らしている。「自ら」には、はかない人間の営みとは無関係に存在する自然への感慨が込められる。
黄鸝(こうり)」は、こうらいうぐいす。「空しく」には、このすばらしい鳴き声を楽しんだであろう孔明もいないのに、という思いが込められている。
第五句「三顧」は、劉備が三たび孔明の草庵を訪れた故事を指す。世に名高い孔明の「出師(すいし)(ひょう)」には「先帝は臣の卑鄙(ひひ)(もっ)てせず、(みだ)りに(みずか)枉屈(おうくつ)せられ、三たび臣を草廬(そうろ)(うち)(かえり)みて、臣に(はか)るに当世の事を以てす」と記されている。
頻煩(ひんぱん)」は「頻繁」と同じで、しばしば行う。繰返す意。「天下の計」は、天下統一の計とも天下三分の計(魏・蜀・呉の鼎立の計)とも言われる。この句は「孔明が劉備の三顧礼に感じ入ってしばしば天下の(はかりごと)を奉った」という意味に解したが、主語を劉備と考えて「劉備は三たび訪れてしばしば天下の計を問うた」という意味にも理解できる。
第六句「両朝」は蜀の先帝劉備とその子の後主劉禅。孔明は二代に二十余年にわたって仕えた。「開済(かいさい)」の解釈に定説はないが、ふつうは「(ひら)()す」と読んで創業と守成の美をなす。つまり、劉備に仕えて国の基を開き、劉禅を補佐して守成の業を全うさせようとしたと理解するのである。そうするとこの句は「二代に仕えて国の創業と守成のために老臣としての心を尽くした」という意味になる。ただ、そうなると「開済」はそれと対になる前句の「頻煩」と比べて、あまりに重い内容を持ちすぎないか。ここを素直に「二代に対して老臣の心を開済した」というふうに読めば、「開済」は心を開き心を尽くした、あるいは、心を開いて国事を成しとげたというほどの意味になるだろう。
「出師」は、軍隊を発すること。「捷」は、勝利する。蜀漢の建興十二年(234年)兵を卆いて北伐に赴いた孔明は、五丈原に本陣を構え、渭水を隔てて魏の大将司馬懿(字は仲達(ちゅうたつ))と百余日にわたって対峙し、八月、軍中に病死した。孔明の忠誠と悲運に感動して、世の英雄たちは涙を流し続けるのである。
杜甫が武候廟を訪れた年も、全国に拡散した安禄山の大乱の余波で、各地で戦乱が続いていた。不安な時世を憂えるとき、孔明を思って流される杜甫の涙もさらに熱くなるのである。

―漢文名作選(第2集)3 古今の名詩より―