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素読のすすめ

令和元年12月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第七章 自然と人生
この章では自然の移り変りゆくさまを見つつ わが人生について考えてみることにしましょう。
第57回 『三寒四温』さんかんしおん

寒い日が三日続くと、次に暖かい日が四日続くこと。晩秋、冬、初春の候をいう。気象用語で特に出典というものはない。元来は北国の気候についていう語。中国の北部、東北部(昔の満州あたり)韓国などでよく用いる。
寒さも三日がまんすると暖かさがきてホッとするが、暖かい日を思うとまた寒さがぶりかえす。
季節的には、冬の寒さから一進一退しつつ春の暖かさへ向う時候にいうことが多い。イギリスの詩人シェリーの句という「冬来たりなば春遠からじ」に通う。春めく心。

楽しい素読

   春暁(しゅんぎょう) 孟浩然(もうこうねん)

春眠(しゅんみん) (あかつき)(おぼ)えず
処処(しょしょ) 啼鳥(ていちょう)()
夜来(やらい) 風雨(ふうう)(こえ)
(はな)()つること()多少(たしょう)

     春の夜明け
 春の眠りは心持よく、夜が明けたことにも気づかない
 あちらこちらから鳥のさえずりが聞こえてくる
 昨夜からの風と雨で
 咲いた花が、どれほど散ってしまったことだろうか

鑑賞
春のおだやかな気象の中で、静かに移りゆく花鳥の生の営みに対する作者の優しい心使いが伝わってくるようです。

令和元年11月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第56回 『優柔不断』ゆうじゅうふだん

ぐずぐずして煮え切らない。決断力がないこと。
「優柔」はユウジュウと音のそろう畳韻語(じょういんご)
もともとは優しい、おとなしい、ゆったりしているなど、良い意味の言葉だったが、ぐずぐずする、ためらうなど悪い意味に変わったようだ。
実はこれに似た言葉に「優游(ゆうゆう)(遊)」があり、こちらの方は『尚書大伝(しょうしょだいでん)』(漢代の書経学の書)に「周公(まさ)に礼学を(おこ)さんとして優游すること三年、(おこ)(あた)わず」と、礼学の制度を興すのに周公が三年ぐずぐずして、結局できなかったことをいう。
四字熟語としても「優游不断」が「漢書」に見え、決断力のない意味に用いている。
優游と優柔は音も似ており、いつの間にか混同して用いられたのでありましょう。

楽しい素読

()()はく、「(これ)如何(いかん)(これ)如何(いかん)()はざる(もの)を、()(これ)如何(いかん)ともする()きのみ」
     「論語」衛霊公第十五

どうしよう、どうしようと言って、一生懸命その方向に向って努力しようという気がなければ、何とも手はつけられない。とても始末にはおえない。
孔先生は、終始門人を引き立てるにも、頭からしまいまで、噛んでふくめるようにお話はしないのです。必ず一隅を示して、三隅を以って省りみなければ(ふた)たびせずという。何のことでもその一端をお話になり、後のことは自分で考えるようしなければ、もう教えてもしょうがないと言っておられるくらいですから、自分で、どうしたらよいだろうという熱心な気持ちがなければ、何とも仕様がないと言はれたのはもっともな言葉でしょう。

令和元年11月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第55回 『守株待兎』しゅしゅたいと

古いやり方や考えになじんで融通(ゆうずう)のきかない態度をいう。「(かぶ)(まも)りて(うさぎ)()つ」と読む。
守株(しゅしゅ)」と二字だけでもいう。
韓非子(かんぴし)」に見える話に基づく。
宋(中国の河南省にあった国)の人で、田を耕す男がいた。田に木の切り株があり、たまたま兎が走ってきて株に触れ、首を折って死んだ。それからというもの、男は(すき)を捨て、株を守って(番をして)いたが、兎は二度と手に入らず、国中の笑い者になった。
得られる筈もない兎をただ待ち暮らす、そのように成果が期待できない古いやり方を頑固に通す者を「守株」という。
北原白秋作詞、山田耕筰作曲で「待ちぼうけ」という歌になっている。

楽しい素読

      守株(しゅしゅ)
宋人(そうひと)()(たがや)(もの)()り。田中(でんちゅう)(かぶ)()り。(うさぎ)(はし)りて(かぶ)()れ、(くび)()りて()す。()りて()(すき)()てて(かぶ)(まも)り、()(うさぎ)()んことを(こいねが)ふ。(うさぎ)()()べからずして()宋国(そうこく)(わら)ひと()れり
        「韓非子(かんぴし)五蠹(ごと)

○宋人・宋の国の人。「宋」は春秋戦国時代の国名
○田 ・耕作地。畑。
○触株・切り株にぶつかる。「株」は木を切りたおした残りの部分。切り株。
○因 ・それが原因で。そこで。
○釈 ・捨てる。放り出す。
○耒 ・すき。手に持って田畑を耕す農具。
○守 ・見張る。番をする。
○冀 ・願う。望む。
○不可復・決して……できない。
○為宋国笑・宋国(の人々)に笑われるの意。

令和元年10月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第54回 『自暴自棄』じぼうじき

自分を大切にせず、なげやりにする。やけになる。
(みずか)(そこな)(みずか)()つ」と読む。『孟子』に出る語。「自ら暴う者は与に言う有るべからざるなり。自ら棄つる者は与に為す有るべからざるなり」(自暴自棄の者とは、一緒に話したり、行動することはできない)といい、礼儀にそむくのを「自暴」、仁義をわきまえないのを「自棄」という、と説明している。
日常では受験に失敗して遊び(ほう)けたり、事業に坐折して酒に身を持ちくずしたりするような場合に、自暴自棄だ、と言う。「やけくそ」「すてばち」などが近い意味の語でありましょう。

楽しい素読

  ―自ら()つる者―
    …論語にこんな一章があります。


冉求(ぜんきゅう)()はく、「()(みち)(よろこ)ばざるに(あら)ず。(ちから)()らざればなり。」()()はく、「(ちから)()らざる(もの)中道(ちゅうどう)にして(はい)す。(いま)(なんじ)(かく)せり。」
      「論語」雍也第六

大意
冉求が、先生の教えてくださる道(生き方)を心から喜ばないわけではありません。どうも私の力がそこまでは及ばないのです。といって嘆息したのです。そこで孔先生が言われるのに、力が足らなければ途中でゆき倒れになる。お前は途中で打ち切って、画す――ここまでといって自分で決めこんでいる。どこまでも自分の力の限り進むという気がなくて途中でお前は止めているのだ、それではいけない、といって激励されたわけです。
自分の全力を尽くしてやるだけやるという精神がなくてはいけない。
もうとても私にはできないといって途中で止めてはだめだというおさとしの言葉です。

令和元年10月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第53回 『有為転変』ういてんぺん

世の中が移り変って少しも同じ状態にとどまらないこと。無常で、はかない。四字の熟語としての古い用例は見当らない。仏教で、もろもろの因縁が生ずる現象を「有為(うい)」という。『景徳伝導録(けいとくでんどうろく)』(宋の道原(どうげん)の法語録)に「一切の善悪有為無為は皆夢幻の如し」とある。すべての物事は夢幻(ゆめまぼろし)のごとく移り変ってゆく、ということ。類似の言葉に「諸行無常(しょぎょうむじょう)」がある。
わが国の「太平記」に「有為転変の世の習い、今に始めぬことなれども」とあるように、これらの言葉はわが国の文学に溶けこんで耳に親しい。

楽しい素読

   蘇台覧古(そだいらんこ) 〔唐〕李白
○蘇台は、いまの江蘇省州府呉県の西南、始蘇山上にあった。
○覧古は、古蹟をたずねて昔をしのぶ。

旧苑(きゅうえん) 荒台(こうだい) 楊柳(ようりゅう)(あら)たなり
菱歌(りょうか)清唱(せいしょう) (はる)()えず
只今(ただいま)()()西江(せいこう)(つき)
()って()らす呉王宮裏(ごおうきゅうり)(ひと)

大意
ふるい庭園。荒れはてた高台。ただ楊柳だけが青青と新しい。ひしの実をつみとる歌の清らかな合唱をきくと、うつくしい春の季節が悩ましくてやりきれない。
いまはただ、西の大川の月があるだけ。むかし呉王の宮殿の中の美人を照らした、あの月が。

鑑賞
紀元前五世紀、いまの江蘇省南部にあった呉の国と、浙江省の北部にあった越の国とは、隣り合せでしかも仲がわるかった。はじめ呉が越を討とうとして失敗し、王は戦死した。王子の夫差が即位し、名臣伍子胥の補佐をうけ、復讐を志し、朝夕、薪の中に臥し、人が部屋を出入りするごとに言わせた。「夫差、おまえは越のやつが父を殺したのを忘れたか!」とうとう越を破り、越王を会稽山で降参させたが、助けてはいけないという伍子胥(ごししょ)の意見をきかず、越のワイロを受け太宰嚭の意見をきいて、越王の命をゆるした。越王勾践は国に帰ると、にがい胆を左右にぶらさげ、それを嘗めては言った。「おまえは会稽の恥を忘れたか!」そして范蠡(はんれい)という智将とともに呉を討つ計画をねった。呉王夫差は勝って油断した。名臣伍子胥は太宰嚭にザンゲンせられて死を命ぜられた。
「わが墓に檟(えのき)を植えよ。檟は(呉王の棺桶の)材料になるであろう。わが目の玉をくりぬいて東の門に懸けよ。越の軍隊が呉をほろぼすのを必ず見るであろう。」かれはこう言い、自ら首をはねて死んだ。夫差は、馬の皮でつくった袋にその屍をつつみ、揚子江へ投げこんだ。
夫差は堕落した。始蘇台というゼイタクな宮殿をきずき、越から贈られた絶世の美女、西施を愛して遊びたわむれた。
二十年後、着々と国力をたくわえた越は、呉を討った。呉は連戦連敗、夫差は始蘇台上に和睦を請うたが、越の智将范蠡はききいれなかった。夫差「子胥にあわす顔がない」といって顔を布で包んで死んだ。
苦心のすえ、会稽の恥をすすいだ越王勾践も、そののち、呉王夫差の道をたどり、ゼイタクな生活におぼれ、越の国もやがて滅びてゆくのであった。

     越中覧古(えっちゅうらんこ)
越王勾践(えつおうこうせん) ()(やぶ)って(かえ)
義士(ぎし)(いえ)(かえ)りて(ことごと)錦衣(きんい)
宮女(きゅうじょ)(はな)(ごと)春殿(しゅんでん)()
只今(ただいま)()鷓鴣(しゃこ)()()るのみ

○鷓鴣 越の国で産する鳥で、うずらに似てやや大きく、なき声が非常にかなしいという。

大意
越王勾践は嘗胆の苦心のすえ、呉をやぶり、会稽山の雪辱をとげて帰った。二十年雌伏の間、忠義をつくした勇士たちも、皆恩賞に浴し、錦の着物をきて故郷にかえった。越王の宮中の女は咲く花のように、春の御殿に満ちあふれた。
いまはただ、越の鳥の鷓鴣が飛びまわっているだけである。