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素読のすすめ

令和元年7月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第六章 自戒<自分からいましめ慎むの章>
第48回 『自画自賛』じがじさん

自分が描いた画を自分で()めること。
自分で自分をほめる「手前味噌」に近い語。
「自画」はとくに典故などないが「自賛」は「史記」に見える。趙の平原君(戦国の四君といわれた名君の一人)の門下の毛遂(もうすい)が「(すす)んで平原君に自賛す」とある。平原君に自分を売りこんだのである。
「賛」には、ほめる、という意味と、文体の一種として、画や文のあとにつける短い批評の文を意味する場合とがある。
ここでは、自分で自分をほめることをつつしみ、反対の語意である溫、良、恭、倹、譲、という語をもった章句を紹介したいと思います。

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子禽(しきん)子貢(しこう)()いて()はく、夫子(ふうし)()(くに)(いた)るや、(かなら)ずその(せい)()く、()れを(もと)めたるか、抑々(そもそも)()れを(あた)えたるか。子貢(しこう)()はく、夫子(ふうし)(おん)(りょう)(きょう)(けん)(じょう)(もっ)()れを()たり。夫子(ふうし)()れを(もと)むるや、()()(ひと)()れを(もと)むるに(こと)なるか。
     「論語」学而第一

大意
子禽が子貢に尋ねて言うことに、「私どもの孔先生はどこの国へ行っても、必ず政治のあり方などの相談を持ちかけられる。これはいったいわが孔先生の方から求めたのでしょうか。それともその国の君主たちが孔先生に持ちかけたのでしょうか」と。
すると子貢が答えて言うに「わが孔先生の態度のおだやかさ、お人柄の素直さ、その行動のうやうやしさ、つつましやかさ、何事も人に譲るというひかえめ、この五つの徳をそなえたお人柄の故に、自然に君主の方から相談を持ちかけられたのである。もちろん孔先生の諸国巡幸の目的は政治を正しくしようとすることであったのだから、先生の方から求めたと言えないこともないが、おそらくその求め方は、世間の人のいわゆる官職を求める時の媚びへつらうありさまとは大いに違っているのではなかろうか」と。

令和元年7月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第47回 『鶏鳴狗盗』けいめいくとう

これは『史記』に見える孟嘗君(もうしょうくん)の故事による
孟嘗君が秦に捕らわれた際、食客(しょっかく)の中に、犬の真似をして物を盗むのが得意なものと、鶏の鳴き真似を得意とする者がいたおかげで逃げ出すことができた。
食客とは、客分として召しかかえている人物。孟嘗君(斉の国の家老)には三千人の食客がいたという。その中の「鶏鳴」や「狗盗」はごくつまらない技の持ち主ということだが、そのおかげで助かったので”つまらぬ技でも役に立つ”例えに用いられる。

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 戦国七雄<斉>の湣王(びんおう)の時
宣王(せんおう)(そつ)す。湣王(びんおう)(たく)つ。靖郭君(せいかくくん)田嬰(でんえい)は、宣王(せんおう)庶弟(しょてい)なり。(せつ)(ほう)ぜらる。()あり(ぶん)という。食客(しょっかく)数千人(すうせんにん)名声(めいせい)諸侯(しょこう)()こゆ。(ごう)して孟嘗君(もうしょうくん)となす。(しん)昭王(しょうおう)、その(けん)()き、すなわちまず()(せい)()れて、もっと(まみ)えんことを(もと)む。
(いた)れば(とど)(とら)えてこれを(ころ)さんと欲す。孟嘗君(もうしょうくん)(ひと)をして昭王(しょうおう)幸姫(こうき)(いた)りて()くを(もと)めしむ。()()はく「(ねが)わくば、(きみ)狐白(こはく)(きゅう)()ん」。(けだ)孟嘗君(もうしょうくん)かってもって昭王(しょうおう)(けん)()(きゅう)なし。(きゃく)によく狗盗(くとう)をなす(もの)あり。(しん)蔵中(ぞうちゅう)()(きゅう)()りてもって()(けん)ず。
()ために()いて(ゆる)さるるを()たり。すなわち()()り、姓名(せいめい)(へん)じて、夜半(やはん)函谷関(かんこくかん)(いた)る。(かん)(ほう)(とり)()いてまさに(きゃく)()だす。秦王(しんおう)(のち)()いてこれを()わんことを(おそ)る。(きゃく)によく鶏鳴(けいめい)をなす(もの)あり。(とり)ことごとく()く、ついに(でん)(はっ)す。()でて食頃(しょくけい)にして、()(もの)(はた)して(いた)る。
(しこう)して(およ)ばず。孟嘗君(もうしょうくん)(かえ)る。(しん)(うら)み、(かん)()とこれを()ち、函谷関(かんこくかん)()る。(しん)(しろ)()いて()す。孟嘗君(もうしょうくん)(せい)(しょう)たり。ある(ひと)これを(おう)(そし)る。すなわち出奔(しゅっぽん)す。
    「十八史略」鶏鳴狗盗

大意
宣王が死んで、湣王が即位した。
靖郭君田嬰は、宣王の異母弟であり、(せつ)に封じられた。
田嬰には文という子があった。文は父のあとを継いで薛の領主となると、孟嘗君と号して食客数千人をかかえ、その名声は諸侯のあいだにひろがった。
秦の昭王は、孟嘗君の賢人ぶりを伝え聞くと、斉に人質を送ったうえで、孟嘗君に会いたいと申し入れた。
孟嘗君が秦におもむくと、昭王は孟嘗君を捕えて監禁し、桟を見て殺そうとはかった。身の危険を感じた孟嘗君は、昭王の愛妾のもとに使いを出して、釈放に尽力してくれるように頼んだ。すると愛妾は、「うわさによりますと、あなたは狐のわき毛でつくったコートをお持ちとのこと、それがいただけるならば……」という。ところが、そのコートは、孟嘗君が秦に来るとき持参したものの、すでに昭王に献上してしまったあとで、もう手もとにはない。
ところが、いっしょに連れてきた食客の中にコソ泥の名人がいた。かれはこのときとばかり、秦の蔵にしのびこんでコートを盗んできた。さっそくそれを愛妾に献上したところ、まもなく、その尽力によって、孟嘗君は釈放された。
孟嘗君は時を移さず秦脱出をはかった。偽名を使い、急ぎに急いで、真夜中、函谷関(かんこくかん)までやって来た。
ところが、当時の関所の規則では、鶏がとき(・・)を告げるまで門を開けないことになっていた。孟嘗君は気が気ではない。秦王がのちになって釈放を悔い、追手をよこすかも知れないからだ。
食客の中から、今度は鶏の鳴き声の名人という男が現われた。この男が鶏のとき(・・)の声をまねると、あたり一帯の鶏がいっせいにとき(・・)をつくった。こうして、まんまと関所の門を開かせることに成功したのである。
一行が関所を通過したのち、まもなく追手が到着したが、時すでに遅しである。斉にたどりついた孟嘗君は、この怨みを忘れなかった。韓・魏と連合して秦を攻め、函谷関まで追った。形勢不利と見た秦は、数城を割譲して斉と和睦した。
まもなく孟嘗君は斉の宰相となったが、自分のことを斉王に讒言(ざんげん)する者が現われたため、国を逃れる身となった。

令和元年6月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第46回 『壺中之天』こちゅうのてん

壺の中の世界。別天地『後漢書(ごかんじょ)』の方術伝(術を使う人の伝記)に見える話。
後漢のころ、費長房(ひちょうぼう)という人がいた。市場の取締役をしていたとき、大道薬売りの老人がいて、夕方、商売が終わるとあたりに人のいないのをたしかめて、持っていた壺の中に入って寝るのを見た。そこで長房は、老人が入ると自分も続いて壺の中へ入った。中には立派な部屋があり、調度も美しく、さながら別天地である。老人は酒と佳肴を出してもてなし、長房も遠慮なく飲食したが、老人を仙人とみて、仙術を教えてくれるよう頼んだ。老人はこころよく引き受け、ともに深山に入って修行したが、遂に会得できずに辞去したという。

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山中(さんちゅう)幽人(ゆうじん)対酌(たいしゃく)
        〔唐〕李白(りはく)
両人(りょうにん)対酌(たいしゃく)すれば山花(さんか)(ひら)
一杯(いっぱい)一杯(いっぱい)()一杯(いっぱい)
(われ)()ひて(ねむ)らんと(ほっ)
(きみ)(しばら)()
明朝(みょうちょう)()あらば
(こと)(いだ)きて()たれ

大意
 山中で隠者と向かい合って酒を酌み交わして二人で向かい合って酒を酌み交わせば、(そこには美しい)山の花が咲いている。一杯、一杯また一杯(と二人は杯を重ねた)。
(そこで言う、)「私は酔ってきて、眠くなってしまった。(だから)君よ、まあひとまずここで立ち去りなさい。(それでもし、)明日の朝、気が向いたら、琴を抱いて来てくれないか」と。

鑑賞
 詩題の「幽人」は俗世間を逃れて静かに暮らす隠者で、俗人ではない人物。「両人」とは、李白と俗人離れのしたその友人とを指す。詩の前半二句では、春の花咲く山中において、一杯また一杯と両人の心ゆくまで杯を重ねるさまが描かれるのであるが、第二句の七字のなんと無造作に似て思いきった、奔放きわまる表現であることか。七言四句から成る絶妙の体をなしてはいるが、近体詩の常識を破ったこのような句作りによって、七言古詩とされている。
 また、そのこと以上に奔放なのは、幽人すなわち友人に向って直接話法を以って語られた後半二句の内容である。対する人によっては非礼この上ないこの言葉がそのまま許されるほどに両者の交情は深かったのである。
 換言すれば、作者の求めた友情は、かくのごとくに自由であり、かくのごとく自らの心のままにふるまえる境地であったのであろう。正に壺中之天のそのままの世界である。