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素読のすすめ

平成31年4月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第42回 『七歩之才』しちほのさい

七歩あるく間に詩を作る。作詩が早いこと、詩の才能が豊かなことをいう。()曹植(そうち)(植はショクとも読む)の故事による語である。

楽しい素読

   七歩(しちほ)()()曹植(そうち)
(まめ)()()って(あつもの)(つく)
()()して(もっ)(しる)(つく)
()釜下(ふか)()りて()
(まめ)釜中(ふちゅう)()りて()
(もと)同根(どうこん)より(しょう)ぜしに
(あい)()ること(なん)(はなは)(きゅう)なるを

    七歩あるく間に作った詩
豆を煮て吸い物を作り、みそを漉して汁を作ろうとする。豆がらは釜の下で燃え、豆は釜の中で泣いている。「もともと、同じ根から生れた(兄弟)なのに、どうしてこんなにひどく激しく(私を)煮たてるのですか」

大意
「七歩の詩」とは、「七歩あるく間に詩を作れ、出来なければ殺す。」という兄の文帝(曹丕(そうひ))の無理難題に対して、弟の曹植が即座に作ったといわれる詩の題である。父、曹操の死後、その後継を争った当時の兄弟の状況は大変切迫したものであったらしい。才能豊かで部下の将兵たちからの輿望も厚かった曹植に対する妬心もあったのかも知れない。
「豆」が曹植、「萁」が曹丕、「同根」というのは両人がその父(曹操)を同じくしていたことを指す。

平成31年4月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第41回 『国士無双』こくしむそう

国中に二人といない優れた人。天下第一の人
「国士」は国の中でもっとも優れた人の意。「無双((なら)び無し)」と強調したもの。「史記」に見える。股くぐりで有名な韓信は初め、楚の項羽に仕えたが才能を認められず、漢の劉邦に身を寄せた。ここでもよい待遇を与えられず、とうとう逃げた。劉邦は追わなかったが、家臣の蕭何(しょうか)は追いかけ、連れ戻した。なぜ連れ戻したか、と問われた蕭何は「並の将軍はいつでも得られますが韓信は国士無双です。」と答えた。果して……

楽しい素読

項梁(こうりょう)(わい)(わた)るとき、(しん)、これに(したが)う。またしばしば(さく)をもって項羽(こうう)(もと)む。(もち)いられず、()げて(かん)()し、治粟(ちぞく)都尉(とい)となる。しばしば蕭何(しょうか)(かた)る、()これを()とす。(おう)南鄭(なんてい)(いた)る。将士(しょうし)、みな謳歌(おうか)して(かえ)らんことを(おも)い、(おお)(どう)より()ぐ。(しん)(はか)る、「()、すでにしばしば()いしも、(おう)(もち)いず。」すなわち()()る。
()(みずか)らこれを()う。(ひと)(いは)く、「丞相(じょうしょう)()()ぐ」(おう)(いか)る。左右(さゆう)()(うしな)うが(ごと)し。()(きた)(えつ)す。(おう)(ののし)りて(いは)く、「なんじ()げしはなんぞや。」()(いは)く、「韓信(かんしん)()う。」(おう)(いは)く、「諸将(しょしょう)()ぐるもの(じゅう)をもって(かぞ)う。(こう)()うところなし、(しん)()うとは(いつわり)ならん。」()(いは)く、「諸将(しょしょう)得易(えやす)きのみ。(しん)国士無双(こくしむそう)なり。(おう)(かなら)漢中(かんちゅう)(おう)たらんと(ほっ)せば(しん)(こと)とするところなし。(かなら)天下(てんか)(あらそ)わんと(ほっ)せば、(しん)にあらずんば、ともに(こと)(はか)るべき(もの)なし。」(おう)(いは)く、「われもまた(ひがし)せんと(ほっ)するのみ、いずくんぞ鬱鬱(うつうつ)として(ひさ)しくここに()らんや。」
()(いは)く、「(かなら)(ひがし)せんと(はか)らば、よく(しん)(もち)いよ。(しん)、すなわち(とどま)らん。(しか)らずんば(しん)、ついに()げんのみ。」
(おう)(いは)く、「われ(こう)のためにもって(しょう)となさん。」()(いは)く、「(とどま)ざるなり。」(おう)(いは)く、「もって大将(たいしょう)となさん。」()(いは)く、「幸堪(こうじん)なり、(おう)もとより(まん)にして(れい)なし、大将(たいしょう)(はい)すること小児(しょうに)()ぶがごとし。これ(しん)()るゆえんなり。」
すなわち壇場(だんじょう)(もう)け、(れい)(そな)う。諸将(しょしょう)みな(よろこ)人人(ひとびと)(おのずか)らおもえらく大将(たいしょう)()んと。(はい)するに(いた)りて、すなわち韓信(かんしん)なり。一軍(いちぐん)みな(おどろ)く。

   「十八史略」楚漢の争い

大意
楚の項梁の軍が淮水を渡って進撃した時、韓信はこれに身じた。かれは何度となく項羽に献策したがいっこうに採用されない。ついに意を決して、楚を去って漢に投じ、ようやく治粟都尉に任命された。大臣の蕭何とは何度となく語り合い、蕭何は、韓信の人物を深く認めるようになった。
やがて、漢王は、漢中に封ぜられて南鄭に向けて出発したが、将兵の多くは望郷の思いにかられ、口ぐちに故郷の歌を歌った。
やがて逃亡する者が続出した。韓信も動揺した。
考えてみれば、蕭何は何度も自分を推挙してくれたが、漢王は一向に自分の策を聞き入れてくれない。ここらが潮時とみて韓信も逃げた。
蕭何は韓信が逃げたと知るや自分でこれを追いかけた。と、ある者が漢王に報告した。
「蕭丞相が逃げました。」
漢王は怒った。丞相に逃げられたのでは左右の手をもぎ取られたようなものだ。だが、ほどなく蕭何はもどって、漢王に拝謁した。漢王はどなりつけた。
「お前まで、なぜ逃げたのか。」
「韓信を追いかけたのです。」
「いままで逃げた将軍は何十人もいる。なのに、お前はだれも追わなかったではないか。韓信を追いかけたなどと、でたらめをいうな。」
「あんな将軍どもなら、いくらでも代わりがいます。だが韓信はふたりといない国士です。わが君がこれから先、いつまでも漢中の王で満足されるなら、韓信は必要な人物ではありません。だが、天下を取ろうという決意でおられるなら、かれをおいて他に相談相手はありません。」
「やがては東方へ撃って出るつもりだ。いつまでもこんなところに居られるものか。」
「そのご決心ならば、韓信にそれなりの任務をあたえることです。そうすれば、かれもとどまりましょう。さもなければ、いずれは韓信は去ってしまいますぞ」
「それならば、お前の顔を立てて、将軍に取り立てよう。」
「いや、将軍ぐらいでは……」
「では大将軍に取り立てよう。」
「そうして頂ければ幸いです。ついては、このさい、ひとこといわせていただきたい。わが君のわるい癖は、傲慢で礼を欠いておられることです。大将軍を任命されるのでも、まるで子どもを呼びつけるくらいにしかお考えにならない。韓信が逃げたのもそのためです」
漢王はこの意見を聞き入れ、礼にはずれぬよう、大将軍任命のため祭壇式場を設けた。
これを見て、将軍たちはみな喜んだ。だれもが自分が大将軍に任命されると思ったのである。だが、いざふたをあけると、これが韓信だったので、全軍はあっけにとられた。