トップページ > 素読のすすめ

素読のすすめ

平成30年10月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第30回 『君子三楽』くんしさんらく

君子の三つの楽しみ。『孟子』に見える語。
「君子」の意味はここでは徳を修める人。
徳とは生れつきではなく、学び練成するものでありリーダーに必須の条件である。

楽しい素読

孟子(もうし)(いは)く、「君子(くんし)三楽(さんらく)()り、(しか)して天下(てんか)(おう)たるは(あずか)(そん)せず。父母(ふぼ)(とも)(そん)し、兄弟(けいてい)()()きは(いち)(たのしみ)なり。(おふ)いで(てん)()じず、()して(ひと)()じざるは()(たのしみ)なり。天下(てんか)英才(えいさい)()て、(これ)教育(きょういく)するのは(さん)(たのしみ)なり。君子(くんし)三楽(さんらく)()り。(しか)して天下(てんか)(おう)たるは、(あずか)(そん)せず。」
   「孟子」盡心章句上

大意
孟子が曰う、「君子には三つの楽しみがある。そして天下に王となる事などは、それに全然関係しない。父母共に健在で、兄弟の間に何の事故もないというのは、まず第一の楽しみである。常に正しい行をしている為、仰いでは天に対して愧じる事がなく、俯しては人に怍じることがない、というのは、第二の楽しみである。天下の才智にすぐれた者を見出し得て、之を教育するのは、第三の楽しみである。君子には三つのかかる楽しみがある。そして天下に王となって政権をにぎるなどという事は、此の中には入っていないのである。

※君子に三楽あり、而して天下に王たるは與り存せずが二度重なる処に注意されたし。

平成30年10月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第29回 『水魚之交』すいぎょのまじわり

魚と水の関係のように、切っても切れない親しい交わり。『三国志』に見える話。蜀主劉備(りゅうび)が何事によらず諸葛孔明と相談し、極めて親密なので、関羽(かんう)張飛(ちょうひ)は面白くない。ついあれこれ文句を言うと、劉備は「()(天子の一人称=わたし)に孔明がいるのは、魚が水を得たようなものだ。二度と文句を言ってはならぬ」とたしなめた。
魚は劉備を(たと)え、水は孔明を喩える。魚が自由に動けるのは水あってこそ。このように、もとは君臣の間柄が親密なことをいうのであったが、一般には上下の身分関係なく用いられる。
前回(第28回)の管鮑之交と同類だが、こちらの方は互いに相手を徳とする意味合いが強い。

楽しい素読

  蜀相(しょくそう)  杜甫(とほ)
丞相(じょうしょう)祠堂(しどう) (いづ)れの(ところ)にか(たず)ねん
錦官(きんかん)城外(じょうがい) (はく) 森森(しんしん)
(かい)(えい)ずる碧草(へきそう)は (おのず)から春色(しゅんしょく)
()(へだ)つる黄鸝(こうり)(むな)しく好音(こういん)
三顧(さんこ)頻煩(ひんぱん)にす 天下(てんか)(けい)
両朝(りょうちょう)開済(かいさい)す 老臣(ろうしん)(こころ)
()()だして(いま)()たざるに()()()
(とこし)へに英雄(えいゆう)(なみだ)(えり)()たしむ

(唐詩)

大意
    蜀の丞相
丞相を(まつ)った(びょう)は、どこに尋ねようか。
成都の城外、柏がうっそうと茂っている所。
石段に映える緑の草は自然のままに春の風情(ふぜい)で、葉かげのうぐいすは聴く人もないのに好い音色だ。
三顧の礼に感じて天下の(はかりごと)をしばしば献上し、二代に仕えて老臣の心を開いて国事を成した。
出陣して勝利を得る前に病没し、永遠に世の英雄たちに無念の涙を流させている。

「丞相」は、宰相。221年、蜀漢の帝位についた劉備は、孔明を丞相に任じた。「祠堂」は、孔明をまつる廟。武候廟といい、成都の西北二里、昭烈廟(劉備をまつる廟)の西にある。「何れの処にか尋ねん」は、どこに尋ねたらいいのか。自分に問うのである。「錦官城」は、成都の別名。蜀の特産である錦を管理する役所が置かれたことによる。「柏」は、ひのきに類した常緑樹。祠前に大柏二樹があって、孔明みずから植えたと伝えられていた。「森森」は、高くうっそうと茂るさま。第二句は、第一句作者の自問を受けて自答したもの自問自答しながら道を歩む作者の心は、敬慕する人物に出会えるようかのよう浮き立っている。
第三句、四句は、武候廟の中の情景。祠堂に昇る階段の周囲に鮮やかに茂る草は、世の栄枯盛衰とは関わりなく春の装いを凝らしている。「自ら」には、はかない人間の営みとは無関係に存在する自然への感慨が込められる。
黄鸝(こうり)」は、こうらいうぐいす。「空しく」には、このすばらしい鳴き声を楽しんだであろう孔明もいないのに、という思いが込められている。
第五句「三顧」は、劉備が三たび孔明の草庵を訪れた故事を指す。世に名高い孔明の「出師(すいし)(ひょう)」には「先帝は臣の卑鄙(ひひ)(もっ)てせず、(みだ)りに(みずか)枉屈(おうくつ)せられ、三たび臣を草廬(そうろ)(うち)(かえり)みて、臣に(はか)るに当世の事を以てす」と記されている。
頻煩(ひんぱん)」は「頻繁」と同じで、しばしば行う。繰返す意。「天下の計」は、天下統一の計とも天下三分の計(魏・蜀・呉の鼎立の計)とも言われる。この句は「孔明が劉備の三顧礼に感じ入ってしばしば天下の(はかりごと)を奉った」という意味に解したが、主語を劉備と考えて「劉備は三たび訪れてしばしば天下の計を問うた」という意味にも理解できる。
第六句「両朝」は蜀の先帝劉備とその子の後主劉禅。孔明は二代に二十余年にわたって仕えた。「開済(かいさい)」の解釈に定説はないが、ふつうは「(ひら)()す」と読んで創業と守成の美をなす。つまり、劉備に仕えて国の基を開き、劉禅を補佐して守成の業を全うさせようとしたと理解するのである。そうするとこの句は「二代に仕えて国の創業と守成のために老臣としての心を尽くした」という意味になる。ただ、そうなると「開済」はそれと対になる前句の「頻煩」と比べて、あまりに重い内容を持ちすぎないか。ここを素直に「二代に対して老臣の心を開済した」というふうに読めば、「開済」は心を開き心を尽くした、あるいは、心を開いて国事を成しとげたというほどの意味になるだろう。
「出師」は、軍隊を発すること。「捷」は、勝利する。蜀漢の建興十二年(234年)兵を卆いて北伐に赴いた孔明は、五丈原に本陣を構え、渭水を隔てて魏の大将司馬懿(字は仲達(ちゅうたつ))と百余日にわたって対峙し、八月、軍中に病死した。孔明の忠誠と悲運に感動して、世の英雄たちは涙を流し続けるのである。
杜甫が武候廟を訪れた年も、全国に拡散した安禄山の大乱の余波で、各地で戦乱が続いていた。不安な時世を憂えるとき、孔明を思って流される杜甫の涙もさらに熱くなるのである。

―漢文名作選(第2集)3 古今の名詩より―