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素読のすすめ

令和2年5月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第67回 『知足安分』ちそくあんぶん

欲ばらずにほどほどに生きる「()るを知り、(ぶん)(やす)んず」と読む。「知足」は『老子』の言葉。「自ら勝つ者は強し、足るを知る者は富む」(自分にうち勝つ者は強い、満足することを知ってる者は豊かである)と言い、また「足るを知れば(はずかし)められず、(とど)まるをしれば(あや)うからず」(満足することを知っていれば恥をかかない、限度を知っていれば危険はない)とも言う。人の欲はきりがない。そこそこに満たされればそれでよい。と老子は戒めた。
「安分」には特に典故はない。近い語として「守分」(分を守る)が隋の王通の「文中子」に見える。
欲望を抑え、身に合った暮らしをするのが生きてゆく上での「知恵」だ。

楽しい素読

  菜根譚(132、135) 洪自誠

人生(じんせい)一分(いちぶ)超脱(ちょうだつ)す。()交遊(こうゆう)(げん)ずれば、便(すなわ)紛擾(ふんじょう)(まぬか)る。言語(げんご)(げん)ずれば、愆尤(えんゆう)(すくな)し。思慮(しりょ)(げん)ずれば(すなわ)精神(せいしん)(こう)せず。聡明(そうめい)(げん)ずれば(すなわ)混沌(こんとん)(まっと)うすべし。()()(げん)ずるを(もと)めずして()()すを(もと)むる(もの)(しん)()(せい)桎梏(しっこく)するかな。
釈氏(しゃくし)隨縁(ずいえん)()(じゅ)素位(そい)四字(しじ)()(うみ)(わた)るの浮嚢(ふのう)なり。(ただ)世路茫々(せろぼうぼう)として、一念(いちねん)(まった)きを(もと)むれば(すなわ)万緒(ばんしょ)紛起(ふんき)す。(ぐう)(したが)いて(やす)んぜば、(すなわ)()るとして()ざるはなし。

大意
人生は、ほんの少し減らすことを考えると、それだけ世のしがらみから抜けだせる。もし交際を減らしたならば、それだけ煩わしいいざこざをまぬがれる。口数を減らすと、それだけ過失が少なくなる。思慮分別を減らせば、それだけ心の疲れがない。利口ぶるのを減らせば、それだけ本性を全うできる。日毎に減らすことを考えないで、かえって日毎に増すことばかりを考えている者は、自分の一生をみずから束縛しているようなものだ。
仏教でいう「隨縁(縁にまかせる)」と、わが儒教のほうでいう「素位(地位に安んずる)」この「隨縁、素位」の四字は、人生の苦海を渡る上での浮き袋である。考えてみるに、人生の海は広々としており、一つのことに満足を求めると、あらゆる欲望が乱れ起ってくる。
いま置かれている境遇に安んじていれば、この先どんな境遇に置かれようと、必ず安心立命が得られぬはずがないからである。

令和2年4月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第66回 『老少不定』ろうしょうふじょう

「老」は老人。「少」は少年(若者)。老人が先に死に少年が後から死ぬとは限らない。寿命はいつ尽きるか分らない。「不定」を「フジョウ」と読むのは仏教語の常として()音で読む習慣による。
この語は『観心略要集(かんじんりゃくようしゅう)』という仏書に「世人の愚なるや、老少不定の境に(おい)て、千秋万歳の執を成す」(世の人は愚かにて、寿命の定めない世界にいながら永遠の寿命に執着している)と見える。
「少年」の語は、今では十代の子どもを指すのが普通だが、漢語の語感としては年齢がもう少し上で十七、八から二十代ぐらいまでの“若者”を指す。李白の「少年行」など、都のいなせな若者を(うた)っている。

楽しい素読

  垂老(すいろう)(わか)れ   杜甫(とほ)
四郊(しこう)(いま)寧静(ねいせい)ならず
()いに(なんな)んとして(やす)きを()
子孫(しそん)陣亡(じんぼう)()きたれば
(いずく)んぞ()(ひと)(まつた)きを(もち)いん
(つえ)(とう)じて(もん)()でて()けば
同行(どうこう)(ため)辛酸(しんさん)
(さいわ)いに牙歯(がし)(そん)する()
(かな)しむ(ところ)骨髄(こつずい)(かわ)けること
男児(だんじ) (すで)介冑(かいちゅう)
長揖(ちょうゆう)して上官(じょうかん)(わか)
老妻(ろうさい) (みち)()して()
歳暮(さいぼ) 衣裳(いしょう)(ひとえ)なり
(たれ)()らん ()死別(しべつ)なるを
()()()(さむ)きを(いた)
(ここ)()れば(かなら)(かえ)らず
()加餐(かさん)(すす)むるを()
土門(どもん) (へき) (はなは)(かた)
杏園(きょうえん) (わた)るも()(かた)
(いきお)いは鄴城(ぎょうじょう)(もと)(こと)なれば
(たと)()するも(とき)()(かん)ならん
人生(じんせい) 離合(りごう)()
()衰盛(すいせい)(たん)(えら)ばんや
(むかし)少壮(しょうそう)なりし()(おも)
遅回(ちかい)して(つい)長嘆(ちょうたん)
万国(ばんこく) (ことご)とく征戌(せいじゅ)
烽火(ほうか) 岡巒(こうらん)(こうむ)
積屍(せきし) 草木(そうもく)(なまぐ)さく
流血(りゅうけつ) 川原(せんげん)(あか)
(なん)(きょう)楽土(らくど)()
(いずく)んぞ(あえ)()盤桓(ばんかん)せん
蓬室(ほうしつ)(きょ)乗絶(きぜつ)
塌然(ようぜん)として肺肝(はいかん)(くだ)

大意
四方の土地にはまだ平和がおとずれず、老いかかったこの身は落ちつくこともできずにいる。子も孫もすっかり戦没してしまったからには、わが身ひとりが生きながらえていてもなんの役にたとうぞ。
そこで、つえを投げすててわが家の門を出てゆくことにしたが、一緒にゆく仲間のものは私のためにかなしんでくれる。
自分にはさいわいにまだ前歯や奥歯がのこっているものの、悲しく思うことは骨のしんがひからびてしまったことだ。しかし男児としてもはやよろいかぶとを身につけたからには、たちえしゃくして上官にお別れして出ていくとしよう。
年よったわが妻は道ばたにふしまろんで泣いている。みれば年の暮れだというのにひとえの着物をきている。このたびの別れが死に別れであるかどうかは知るよしもないが、まあまあ妻の寒そうにしているのにこころをいためずにはおれぬ。ここを立ち去ったならばきっともどってくることはあるまいが、それでも妻はわたしにたくさんたべて養生せよとすすめてくれるのを耳にする。
土門は城壁がはなはだ堅固であるし、杏園は賊がわたってくるにしても困難なところだ。そこでの形勢はかの鄴城(ぎょうじょう)のほとりとはちがっていることゆえ、たとえ戦死するにしてもいますぐということはあるまい。人生には離別と会合とはつきものであり、それには老年と壮年との区別はないはずだ。私は自分のわかく元気であった日のことをおもいおこし、立ち去りかねて結局は深いためいきをつくばかりである。
しかし、いま天下じゅうはことごとく戦だらけであり、のろし火は岡や山におおいかぶさっている。しかばねはつみかさなって草も木もなまぐさく、血しおは流れて川も野もまっかに染まっている。楽土はいったいどこにあるというのか。どうしてこんなところにいつまでもぐずぐずしておられようぞ。そこで私はあばら家のすみかをきっぱりと棄て去って出てゆくことにしたが、ぐったりしてこころの奥底までもうちくだける思いだ。

令和2年4月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第65回 『風樹之歎』ふうじゅのたん

父母が亡くなって孝養することができない歎き。
漢詩(かんし)外伝(げでん)』(漢代の故事集)に、()静かならんと欲するも風()まず、()(やしな)わんと欲するも親待たず。(木が静かになろうとしても風がやまないように、子どもが親に孝養をつくそうとしても親は待ってくれない)とある。前段の風の(たとへ)は、後段の主題を引き出す前置きである。物事は思うようにはならないものだよと。
父母が健在のときには親孝行など考えないが、亡くなってみると、もっと親孝行しておくのだった、と思うのが世の常である。
白楽天(はくらくてん)も「(ねがわ)くは孝子の心をして、風樹(ふうじゅ)(たん)なからしめよ」と(うた)っている。
「孝行のしたい時には親はなし」の(ことわざ)と同じだ。

楽しい素読

孟武白(もうぶはく)(こう)()う。子曰(しい)はく、父母(ふぼ)(ただ)()(やまい)()(うれ)う。
子游(しゆう)(こう)()う。子曰(しい)はく、(いま)(こう)()()(やしな)うを()う。犬馬(けんば)(いた)るまで(みな)()(やしな)うことあり。(けい)せずんば(なに)(もっ)(わか)たん。
        「論語」為政第二

子曰(しい)はく、父母(ふぼ)(つか)うるには(ようや)くに(いさ)め、(こころざし)(したが)わざるを()ては、(また)(けい)して(たが)わず、(ろう)して(うら)みず。
子曰(しい)はく、父母(ふぼ)(いま)せば、(とお)(あそ)ばず、(あそ)ぶこと(かなら)(ほう)あり。
        「論語」里仁第四

大意
○孟武白が孝行のことをたずねました。
孔先生は、お父さんお母さんはただ子供の病気だけを心配するものですから、病気をして親に心配かけぬようにしなくてはいけない。
○子游は孔子の弟子、孔門十傑の一人です。孝行を問うた時、孔先生がお答えになるのは、現代の孝行に対する考えは親を良く養いさえすれば、それで孝行といっているが、それでは駄目です。犬や馬だってやはり養うのです。たゞ養うだけ、食わせるだけではいけない。親に対しては終始尊敬の念を以ていなければ犬や馬と区別がないではないか。
○これは父母のあやまちがあった場合をいっています。
父母に何か過ちがあった場合、声をやわらげ、きわめておだやかに静かに諫める。ところが父母が承知なさらない時に、むっとするのはいけない。父親を敬う気持があって、父の意志にそむかぬようにする。労して怨みず、は諫めたものですから父親が何か無理なことをいいかねません。骨折り仕事をいいつけるかもしれない。或いは鞭打たれるかもしれない。けれどもそういう場合も決して父親を怨むことはない。これが孝行する人間の心掛けである。
○父母がお元気でいらっしゃる間は、年寄りであるから父母のもとを離れて遠く遊ぶことをしない。出かけるときには必ずどこへ行きますといったら、そこ以外には行かない。普通の場合は、小、中学生など、なるべくこうあって欲しいと思はれます。だれそれの家に行くといって、あいにくその友人が留守だったので別の友人のところで遊びくらし、帰りがあまり遅くなると、家では心配して最初の友人のところに電話すると、そこにはいないというので、親たちはどんなに心配するか知れません。
※孝は百行(ひゃくこう)のもとといわれて、すべてのモラルの出発点とされてきました。この章句どれをとっても現下の社会の実態は程遠い感がいたします。心したいものです。

令和2年3月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第64回 『格物致知』かくぶつちち

物事をよく調べて本質に迫る。「物に(いた)()(いた)す」と読む。(宋の朱熹の説。)
「大学」から出た語。格物、致知の二つと誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下、の六つを合わせて「大学の八条目」と秝する儒家思想の基本を成す標語。
「格物致知」は漢代以来諸説あるが、わかりやすくいえば「物の理(本質)を究めて知識を積む」のが宋の朱熹。それに対して「物を(ただ)して知を致す」と読み「いろいろな事(物)を正して、生れつきの良知(知能)を発揮する」のが明の王陽明の考え方である。
「知」について言えば、朱熹は後天的に積み重ねていくもの、王陽明は生まれつき持っていて発揮していくもの、と考え方が違う。

楽しい素読

    〔大学〕八条目
(いにしえ)明徳(めいとく)天下(てんか)(あき)らかにせんと(ほっ)する(もの)は、()()(くに)(おさ)む。()(くに)(おさ)めんと(ほっ)する(もの)は、()()(いえ)(ととの)ふ。()(いえ)(ととの)へんと(ほっ)する(もの)は、()()()(おさ)む。()()(おさ)めんと(ほっ)する(もの)は、()()(こころ)(ただ)しうす。()(こころ)(ただ)しうせんと(ほっ)する(もの)は、()()()(まこと)にす。()()(まこと)にせんと(ほっ)する(もの)は、()()()(いた)す。()(いた)すは(もの)(いた)るに()り。(もの)(いた)りて(しか)(のち)()(いた)る。()(いた)りて(しか)(のち)()(まこと)なり。()(まこと)にして(しか)(のち)(こころ)(ただ)し。(こころ)(ただ)しうして(のち)()(おさ)まる。()(おさ)りて(しか)(のち)(いえ)(ととの)ふ。(いえ)(ととの)いて(しか)(のち)(くに)(おさ)まる。(くに)(おさ)まりて(しか)(のち)天下(てんか)(たひ)らかなり。

大意
古の聖王の国づくりの道を尋ね、明らかにしようと思う者は、先づ、その住んでいる地域(街又は村)づくりを考え、その地域づくりを志す者は、先づ自らの家をととのえ修めます。一家を修めんと志す者は先づ自らの身を修めることに心をくだくべきです。
その自らの身を修めんと志す者は、先づその心の主体となるものを正しいものにします。その心を正しいものにする為にはその対象となるものに対して誠を尽しているか否かをしっかりと把握することです。その意志を誠にすることを把握したら、先づ、正しい態度でその対象物と向き合い、徹底的にその物を探究します。
探究していくと、あるとき、豁然として眼前がひらけ会得するときが訪れます。知至るです。知至れば誠をささげる道を覚り、正しい心を保つことが出来、身が修まります。あるじの身が修まれば一家がととのいます。やがて、こうした地域の指導者が出現することにより、街(村)づくりが完成し、ひいては天下平らか(国づくり)へとつながることになります。
すべて帰一するところは修身(我づくり)に始まるということを心に明記したいものです。

令和2年3月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第63回 『晴好雨奇』せいこううき

「晴れて好く、雨も奇なり」と読む
晴れても雨でもよい景色、山水の美しさをたたえた言葉。蘇東坡の杭州西湖での「湖上に飲す、初め晴れ後雨ふる」という詩にある。

楽しい素読

湖上(こじょう)(いん)す、(はじ)()(のち)(あめ)ふる
        〔(そう)()(しょく)

水光(すいこう) (れん) ?(えん)として (はれ)(まさ)()
山色(さんしょく)空濛(くうもう)として(あめ)()()なり
西湖(せいこ)()りて 西子(せいし)()せんと(ほっ)すれば
淡粧(たんしょう) 濃抹(のうまつ) ()べて相宜(あいよろ)

大意
湖上(こじょう)(うたげ) (はじ)()(のち)(あめ)
さざ波に日の光、きらきら輝いて、晴の景色はすばらしい
取りかこむ山々はぼんやりとかすんで雨の景色もまた格別だ。
西湖を西施にたとえてみよう。
薄化粧、厚化粧、どちらにしても美しい。

鑑賞
北宋の熙寧(きねい)六年(1073年)杭州(浙江省杭州市)の西湖で宴を催したおりの作。西湖は東側に杭州市街があり、北、西、南の三方を山に囲まれた景勝の地である。
詩題によると、この日は宴の始まるときには晴れていた天気が、のちに雨となった。作者にとって、西湖は晴れていても雨降りであってもともに心魅かれるというのである。このとき作者は通判(副知事)として杭州にいた。
起句は西湖の晴れの情景。「水光」は、さざ波に乱反射する太陽の光。「(れん)?(えん)」は、水が満ちあふれるさま、また、さざ波が光輝くさま。「(まさ)に」は、ちょうどその時、というような強調のニュアンス。
承句は、雨の風景。「空濛(くうもう)」は、ぼんやりとかすむさま、うっすらとした雨雲の切れ間から、山々の色あいが変化して見えるのである。「奇」は並外れてすばらしいという意味。
転句では、西湖を西施にたとえてみようと言う。
西施(西子とも)は、春秋時代の越国の美女。呉王夫差(ふさ)に敗れた越王句践(こうせん)が彼女を夫差に贈ったところ、夫差はその色香に迷って国政をないがしろにし、ついに句践に攻め滅ぼされてしまった。もとの越の地にある西湖だから、作者は越の傾国の美女西施になぞらえるのである。
「淡粧」は、あっさりした化粧。「濃抹」はこってりとした化粧。「抹」は塗ること。「総て相宜し」とは、どちらにしてもよろしい、という意味。西湖の晴れの景色は西施の薄化粧、西湖の雨の景色は、西施の厚化粧になぞらえられるが、西施は濃淡どちらの化粧でも美しく、西湖の景色は晴雨どちらもすばらしいというわけである。
作者は、西湖の晴れの景色と雨の景色を、それぞれ「水光瀲?」「山色空濛」の四字でしか描写していない。百言を尽くすよりも簡にして要を得た表現で、あとは、伝説の美女西施と重ね合わせて想像してほしいと言っているかのようである。

令和2年2月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第62回 『天罰覿面』てんばつてきめん

天の(くだ)す罰がたちどころに現われること。
天罰(てんばつ)」は「書経(しょきょう)」(五経の一)などにも見える古い言葉。天帝が下す罰のことで、人の力の及ばないところから加えられる「神罰」と同じ。「覿面」はまみえる。()のあたりにするの意で、もとは目の上の人に対するときに用いる言葉だが、今は結果がすぐ目の前に現われることに用いる。
四字の熟語としての用例は古くは見当たらないが、発音すると「てんばつてきめん」と音がそろうので調子がよいこともあり、よく使われる言葉だ。
人類が欲望のままに化石燃料などの地球の資源を使い尽くし、環境汚染を垂れ流しにすれば、天罰は覿面に下ることになるだろう。

楽しい素読

子夏(しか)()はく「小人(しょうじん)(あやまつ)(かなら)(かざ)る」
子貢(しこう)()はく「君子(くんし)(あやまつ)日月(じつげつ)(ごと)し、(あやま)つや(ひと)(みな)(これ)(あお)ぐ。」
      「論語」子張 第十九

大意
(小人=教養の無い人。君子=徳を積んだ立派な人物)
※小人の過や必ず文る。つまり教養のない小人が何か過ちをすると、きっといろいろ言いわけをして、とり繕ろい飾り立て、その過ちを自分の過ちではなかったかのようにいい廻そうと試みるものである。
君子の過ちははっきりしております。日月の蝕のようでみながそれをちゃんとみておる。改めるとみんながまたそれを仰ぐ、そこで君子は過ちを改めるに憚ることなしということになるわけです。

鑑賞
この章句は「天罰」に続く語としてはいささか意を異にしますが、「覿面」に現わるという意味では同義にあたると思いまして、抜粋して採用しました。

令和2年2月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第61回 『流言飛語』りゅうげんひご

根拠のないのに言いふらされるうわさ。デマ。
「流言」も「飛語」も同じ意味、どこからともなく流れ飛んでくる言葉の意。「飛語」は()語」とも書く(蜚も飛ぶの意)。
「流言」は『書経』に「管叔(かんしゅく)及び其の群弟、国に流言す」と見える。周の初め武王の没後、管叔(武王の弟)たちが周公の悪口を言いふらし(周公は成王の後見を武王から託されていた)後嗣(あとつぎ)(せい)王を惑わそうとしたこと。つまり、根も葉もないうわさを撒きちらし、幼い成王をたぶらかそうとしたのである。
「蜚語」は「史記」に見える。同じく悪口を言いふらす意に同いている。

楽しい素読

  九月十日(くがつとおか) 菅原道真(すがわらのみちざね)

去年(きょねん)今夜(こんや) 清涼(せいりょう)()
秋思(しゅうし)詩篇(しへん) (ひと)断腸(だんちょう)
恩賜(おんし)御衣(ぎょい) 今此(いまここ)()
捧持(ほうじ)して毎日(まいにち) 余香(よこう)(はい)

鑑賞
去年の今夜は宮中の清涼殿で(みかど)のおそばに侍していた。
「秋思」という題の詩を作ったのだが、私の詩はとても悲しみに満ちたものとなった。
その時、ご褒美としていただいた帝の御衣は都を遠く離れた今もここにある。
毎日それを(ささ)げ持っては、残り香を拝しつつ帝をなつかしく思い起すのである。

菅原道真
平安前期の学者、延臣(845~903)宇多(うだ)醍醐(だいご)天皇に仕えた。藤原氏に対抗して文章博士(もんじょうはかせ)から右大臣に登用されたが、藤原時平の讒言(ざんげん)にあい、大宰権帥(だざいのごんのそつ)に左遷された。その霊は天神様として祭られ、学問の神とされている。