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公益財団法人 忍郷友会

素読のすすめ 第18~23回

平成30年7月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第23回 『無欲恬淡』むよくてんたん

心に欲望がなく、あっさりしていること
「無欲」も「恬淡」も、老荘思想でよく用いられる言葉。老子に「我無欲にして、民自ら樸なり」(私<聖人のこと>が無欲だから、民は自然に質素になる)とあり。
莊子にも「無欲にして天下足る」((天下を治める者が)無欲であれば天下に者がゆきわたる)と見える。欲をかけば無理をする、争いが起る。
(いにしえ)の賢人の智恵をかみしめよう。

楽しい素読

()()はく、(けん)なるかな(かい)や。一簞(いったん)() 一瓢(いっぴょう)(いん)陋巷(ろうこう)()り。(ひと)()(うれ)いに()えず、(かい)()(たの)しみを(あらた)めず。(けん)なるかな(かい)や。
   「論語」雍也第六

大意
孔先生がおっしゃるには、「優れた人間だなあ、顔回は。わずか一膳のめしと一椀の汁だけで、しかも狭苦しい路地の奥に住んでいる。普通の人では、こんな苦労に堪えられるものではない。しかし顔回は、その中にあって、人として生きるべき学問追究の楽しみを、心から味わっている。実にすばらしい人間だなあ。顔回は」と。
○簞は竹で造ったオハチ(に御飯が入っており)
○瓢はヒョウタン(何の飲みものかゞヒョウタンにあるだけ)
○陋巷は路地の奥(貧乏な生活)
○楽しみ(孔先生について人としての教えを受け、自分が立派な人間になるという実行力が身に着いたか、どうかを常にたしかめつつ、それを追究する楽しみを心から味わっている。)

平成30年6月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第22回 『公平無私』こうへいむし

平等で偏らず。私心のないこと。
「無私」は「(わたくし)()し」と読む。「公」と「私」は反対の意味を持つ。
字の原義について、次のような説がある。両方の字についている「ム」は物を取りこむ意味がある。「私」は「(いね)」を取りこみ、自分の物にすること。「公」のハは分ける意味がある。「公」は取りこんだ物を平等に分けるということ。
※公平無私は上に立つ指導者の鉄則です。

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仲弓(ちゅうきゅう)(じん)()ふ。()()はく「(もん)()でては大賓(たいひん)()るが(ごと)くし、(たみ)使(つか)ふには大祭(たいさい)()くるが(ごと)くす。(おのれ)()つせざる(ところ)は、(ひと)(ほどこ)すこと(なか)れ。(くに)()りても(うら)()く、(いえ)()りても(うら)()し。」
仲弓(ちゅうきゅう)()はく、「(よう)不敏(ふびん)なりと(いえ)ども、()()()(こと)とせん。」
   「論語」顔淵第十二

大意
徳行には顔淵、閔子騫、冉伯牛、仲弓といって、仲弓、顔淵は孔門の四科の内でも特に徳行に優れた人でありますが冉雍(ぜんよう)(あざな)は仲弓です。仲弓が仁というのはどうしたらよろしゅうございますか、とお尋ねしたものですから孔先生が、自分の家から一歩門外に出た時には、あらゆる場合、大賓(大変大切なお客様)にお目にかかるような気持でおれ、つまり非常に謹しみ深く、緊張した態度でいなくてはいけないということでしょう。人民を使うときには、国家の大祭をお祭りするようなつもりで、人民を使わなくてはいけない、終始謹慎して少しも油断のない態度でしょう。
そして自分のいやなことは人にそれをし向けないようにする、そうしておると国におっても、何人(なんびと)からも怨まれることもないし、家にあっても何人からも怨まれることはない。諸侯としても、大夫としても、何人からも怨まれることはない。(これは人の上に立って国民を治める重職にある人の心得です)
仲弓がいうに、(雍は自分の名前)は、甚だふつつかでございますが、先生のこのお話は終始心掛けてそれを務めてやるようにいたしましょうと申し上げたということです。

平成30年6月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第21回 『剛毅木訥』ごうきぼくとつ

しっかりした心を持ち、無口で飾り気がない。 「剛毅」は心が強く、態度がしっかりしていること。 「木訥」は「朴訥」とも書く。「木」(朴)は容貌や態度が質朴(地味)なこと「訥」は訥弁、口べたなこと。訥弁の反対が「巧言」。うわべや見てくれを飾る「巧言令色」に比べ、「剛毅木訥」は野暮に見えるかも知れないが、中味がしっかりしている。人の美徳の一つ。

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()()はく「君子(くんし)(たい)にして(おご)らず。小人(しょうじん)(おご)って(たい)ならず。」
()()はく「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)(じん)(ちか)し。」

大意
孔先生がおっしゃるには、人格者は、どっしりと落ちついて安らかな態度です。決っして威張るところがありません。小人はこれに反して、威張ってはいるが、心の内は安らかではない落ち着かないものです。
意思が強く、果断で我慢強く、飾り気がなく、寡黙な人柄(言葉が少ないこと)剛毅木訥は仁者とは言えんかも知れないが、仁者に近い。
孔先生がいかにも言行を謹しんで、多言をいましめられたかが分り、私欲の無い剛毅の人をいかに重んぜられたかが分ります。

平成30年5月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第20回 『清廉潔白』せいれんけっぱく

清く正しいこと。人柄や態度についていう。
「廉」は直と同じで、まっすぐ正しい。
「潔」も「白」もきよらか、汚れがない。私欲がなく、うしろ暗いところがないこと。

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子游(しゆう)武城(ぶじょう)(さい)()る。()()はく、「(なんじ)(ひと)()たるか。」()はく、「澹台滅明(たんだいめつめい)なる(もの)あり、()くに(こみち)()らず。公事(こうじ)(あら)ざれば(いま)(かつ)(えん)(しつ)(いた)らざるなり。」
    「論語」雍也第六

大意
子游が武城の地の代官となった時に、孔先生がおっしゃるには「お前は武城にいってこれぞという人材を得られたか」と。子游がいうことには「澹台滅明という者がおりました。この者は、進みゆくときには、小さな近道をとらず、必らず正しい大道を通るようにしており、公の政治上の問題がない限り、代官である私の部屋に(ご機嫌伺いや自分の売り込みのために)今まで一度も来たためしがありません」と。
○武城は魯の国の下邑
○澹台は姓、滅明は名
○偃の室は、代官の部屋

平成30年5月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第19回 『品行方正』ひんこうほうせい

「品」は人柄、「行」はおこない。「方」はもとは四角の意味から「方正」で、きちんとしている。きちょうめんの意。
※行いがきちんとして身持がよい。まじめな態度をいう。

楽しい素読

哀公(あいこう)()う、弟子(ていし)(だれ)(がく)(この)むと()す。
孔子(こうし)(こた)えて()わく、顔回(がんかい)なる(もの)あり、(がく)(この)む、(いか)りを(うつ)さず、(あやま)ちを(ふた)たびせず。不幸(ふこう)短命(たんめい)にして()せり。(いま)(すなわ)()し。(いま)(がく)(この)(もの)()かざるなり。
     「論語」雍也第六

大意
魯の哀公が貴方のお弟子のうちで誰が学問が好きですかというお尋ねの時に、孔子がお答えされたことばに「顔回というものがおりましたが、あれは学問が好きでございました。学んだことを身につけようと努力を怠らず、他の怒りを別人に八ツ当りすることもなく、一度犯した過ちを二度と繰り返すこともありませんでした。」学問を好むということは、つまり書物を読むことが、大変好きということでなく、実際自分の修養となり、立派な人間になるという学問のことです。
この当時の学問というのは、單に知識を習得するということではなくて、いいことを伺ったならばそれを直ちに実行して、立派な人間になるということですから学問を好むということは大変なことです。
そして孔子のいうのには「不幸にして顔回は短命で死にました。今はもうこのような門弟はおりません。その後は、学問を心から楽しんでいるという者の名を、まだ耳にいたしておりません。」

平成30年4月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第18回 『風林火山』ふうりんかざん

軍隊を動かす際の心得
武田信玄の旗印としてよく知られる語

楽しい素読

()(はや)きこと(かぜ)(ごと)
()(しず)かなること(はやし)(ごと)
侵掠(しんりゃく)すること()(ごと)
(うご)かざること(やま)(ごと)
()(がた)きこと(かげ)(ごと)
(うご)くこと雷霆(らいてい)(ごと)
     「孫子」軍争篇

大意
 軍隊の進むさまは風のように早く
 緩やかに止まるさまは林のように静かに
 敵地を侵略するときは火のように激しく
 守るときはどっしりと山のように動かない
 敵に悟られないさまは闇のように
 行動を起すときは雷のように威勢よくする

※チャンスとみれば一気にこれをつかみとる
 体制をととのえてチャンスをうかがう時は林が立ち並ぶように秩序がある
 「風林火山」とは攻めにも守りにも強い、行動にスピードとメリハリのある集団組織のことです。

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