素読のすすめ 第1~8回
第二章 勉強・努力
何べんも繰返し読めば意味が自然に分かる。
出典は「三国志」の
論語雍也第六
大意
冉求が言うことには「私は、孔先生の教えてくださる生き方を、心から喜ばないわけではありません。私の力がお教えの実践には足りないのです」と。
孔先生がおっしゃるには「力が足りないと言うのは、あらん限りの力を尽くしても、どうにも致し方なく途中で倒れて止めてしまうことである。お前は自分で自分の限界を決めてしまって(得られるべきものまで失って
いる)」と。
高い地位を得 有名になる
「立身」も「出世」もどちらも同じ意味で、世に知られるひとかどの人物になることをいう
「身を立てる」修養を重ねて(切磋琢磨)立派な人物になる
「小学」内篇 明倫第二
大意
孔先生が曽子に言う。この身体から毛髪、皮膚まで父母から受け継いだものである。用心して善く守って軽々しくいため傷つけないよう心がけるべきである。それが孝の始めというものである。 人として立派に成長し、名を後世までも語り継がれるように高く揚げ、それによって父母の名を世間に光り輝かせるのが、孝行の完成というものである。
○曽子(名は
○毀傷(毀は、衰弱し、瘠せることをいう。傷はけが)
目的に向かってまっしぐらに進んでゆくこと
勇往は=勇み往くと読む
邁進の「邁」は遠くへ進んで行くの意
勇往邁進といえば、進んで行く動作に加えて気力の充実しているさまも含む言葉。胸を張り堂々と撓まず怯まず困難をものともせず行く。
「
論語泰伯第八
大意
曽先生が言うことには「いやしくも士君子(学問もあり、人格もある人)たるものは弘毅・どこまでも広く大きな気持で、あらゆる場合に絶体に屈せざるところの強い気持をもっていなくてはいけない。何故ならば、我々の任務はきわめて重くかつ行く先は遠い。我々は仁者になることを以て自分の任としているのだからこんなに重い荷ではないか、死んだ時がやめる時であり生ある限り続く道のりだから、なんと遠いといわなくてはならないのではないか。」と。
どんな逆境にあっても、思いがけない事故にあっても、志を曲げないでやり通すこと。
撓まず…たゆむ(押されて曲がる)…曲がらない
屈せず…くっする(曲がって伸びられない)…伸びあがる
「
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論語衛霊公第十五
大意
孔子衛の国を去って陳国に向う途中で、陳の大夫のために包囲されて、食糧が無くなってしまった。
付き従ってきた門人たちは、餓え疲れて立ち上がることもできなくなった。
子路(由)は、孔先生のような方をこんな目に遭わせたことに怒りを含んで言うことには
「先生のような人格者でも苦しめられることがあるのですか」と。
孔先生がおっしゃるには「人格者に苦しみはつきものだ。ただ、小人は苦しみに遭うと、どんなことでもしでかすものだ」と。
気持ちをこめて頑張ること
意をひとつにして心をもっぱらにす…と読む
※一意専心勉学にはげみ栄冠を勝ち取る
朱熹…南宋の詩人であるばかりでなく、哲学者として千年に一度現れるか否かの天才と称された人
大意
若い時代はうつろいやすく、学問というものはなかなか成就しない/
それゆえ、ほんのちょっとした時間ですらもおろそかにしてはならない/
池のほとりに春の草が萌えだして美しい夢からいまださめきらぬうちに/
早くも庭先の梧桐(あおぎり)の葉を落す秋が来たことに驚くのだ。
未来が広々と開いている
行手が希望に満ちているさま
前途…これから先の道
洋洋…ひろびろとしたさま
忍城