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公益財団法人 忍郷友会

素読のすすめ 第24~28回

平成30年9月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第四章 友情
第28回 『管鮑之交』かんぽうのまじわり

管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のまじわり、転じてきわめて親密な交わりをいう。
―管仲は若い頃貧乏であった。鮑叔と一緒に商売をして自分の方が多く利益を取ったが、鮑叔は管仲が貧しいからと理解した。戦争に三度行って三度とも逃げ帰ったが、鮑叔は管仲を臆病者呼ばわりしなかった。管仲には年老いた母がいるのを知っていたからだ。また、管仲が鮑叔のためによいことをしたつもりが、かえってかれを窮地に陥れたことがある。だが、鮑叔は管仲を愚か者呼ばわりしなかった。ものごとは、うまくいく場合とそうでない場合があるのを心得ていたからである。
後に、大政治家となった管仲は「我を生む者は父母だが、我を知る者は鮑叔なり」と深く感謝した。―

楽しい素読

    貧交行(ひんこうこう)  杜甫(とほ)

()(ひるがえ)せば(くも)となり
()(くつがえ)せば(あめ)となる
粉粉(ふんぷん)たる軽薄(けいはく)
(なん)(かぞ)うるを(もち)いん
(きみ)()ずや管鮑(かんぽう)貧時(ひんじ)(まじ)わりを
()(みち)今人(こんじん)()てて(つち)(ごと)

大意
貧しい時の交わり 杜甫
手のひらを上に向ければ雲となり下に向ければ雨となる
このようにくるくる変わる軽薄さは数えたてて問題にするまでもない
諸君見たまえ、管仲と鮑叔の貧しい時の交わりを、この交わりの道を、今の人は泥のように捨てているではないか。

○杜甫…盛唐の詩人、字は子美、号は少陵、初唐の詩人杜審言の孫で、原籍は襄陽(今の湖北省襄陽県)であるが、生まれは河南省鞏県。二十歳の頃から天下を周遊し、李白とも進行を結んだ。彼の詩には、動乱の社会の現実に対する強い怒りと、しいたげられ翻弄される民衆への深い同情の念がこめられている。

平成30年9月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第27回 『質実剛健』しつじつごうけん

飾り気がなく、まじめで、体も丈夫なこと
「質実」は質朴(しつぼく)誠実を簡略にした。飾り気なくまじめ。ここでは、内容(中味)が充実していると解す。
「剛健」は「易経」(五経の一つ)の乾(けん)の卦に「大いなるかな乾や、剛健にして中正、純粋にして精なり。」(乾の卦は偉大である。強く正しく、純粋でまじり気がない)とある。

楽しい素読

景春(けいしゅん)()はく、「公孫(こうそん)(えん)張儀(ちょうぎ)は、(あに)(まこと)大丈夫(だいじょうふ)ならずや。(ひと)たび(いか)りて諸侯(しょこう)(おそ)れ、安居(あんきょ)して天下(てんか)()む。」
孟子(もうし)()はく、「天下(てんか)広居(こうきょ)()り、天下(てんか)正位(せいい)()ち、天下(てんか)大道(だいどう)()く。(こころざし)()れば、(たみ)(これ)()り。(こころざし)()ざれば、(ひと)りその(みち)(おこな)ふ。富貴(ふうき)(いん)すること(あた)はず、貧賤(ひんせん)(うつ)すこと(あた)はず、威武(いぶ)(くっ)すること(あた)わず、()(これ)大丈夫(だいじょうふ)()ふ。」
   「孟子」滕文公章句下

大意
景春という人が曰った。「五ヶ国合従(がっしょう)の長となった公孫(えん)とか、連衡策(れんこうさく)(こう)じた張儀とかは、どうして誠のすぐれた男でなかろうか。誠の大丈夫である。何故なら、この人達が一度怒ると、他の諸侯に説きまわって、自分を怒らせた諸侯を攻めさせるので、天下の諸侯は、この人達を怒らせる事をおそれている。反対に、この人達がじっとしていると、天下の兵乱はやんでしまう。こんなに一人の力で、天下を動かすとは、誠に大丈夫の証拠である。」と。これに対して、孟子の曰うには、「自分の思う誠の大丈夫とは、それとはちがう。仁という広い家に居り、礼という天下の正しい位置に立って事を行い、義という天下の大きい道をどうどう歩いていき、自分が思うように用いられなかった時には、退いて独りでこれらの徳を行う。そして富貴を以てしても、其の心を(とろ)かし乱す事が出来ず、貧賤の苦しみで苦しませても、其のかたく守っている操行をかえさせる事が出来ず、権威や武力で圧迫しても、其の志をまげさせる事が出来ない、かような人こそ、誠の大丈夫というのである。」と。

語釈
○公孫衍……魏の人で、常に五ヶ国の宰相の印を腰に()びて、諸侯を説きまわり、所謂合従(がっしょう)の長となった人。秦王の孫に当ったので公孫衍といった。
○張儀……魏の人。連衡策を講じた。
○大丈夫……一人前の男を丈夫という。丈夫の中でも特に傑出した男を大丈夫という。
○一怒……公孫衍や張儀が一度怒ると。
○安居……じっとしていて、何も言わぬ。
○天下熄……天下の兵乱がやむ。
○広居……広い所、仁をさす。仁の中にいれば、天下にも恥じず、人からも愛され、これ程、広々した所はないから。
○正位……中正な、正しい位置。礼をさす。礼に立って事を行えば、常に中正であるから。
○大道……人のふむべき大きな道で、義をさす。義は人の踏むべき正しい道であって、義を行えば誰はばかる事のない大道であるから。
○志を得……望み通り大いに用いられる時には。
○之に由る……之とは上の仁、礼、義の徳をさす。
○其の道……仁、礼、義の道
○淫……心をとろかし、まどわす。
○移……其の節を変える。
○威武……権威や武力。
○屈……其の志をくじき、まげること。
※本文は、古来しばしば、演説講演に引用せられるほど有名であります。今日われわれも素読によりくり返し音読を重ね、このような調子の高い名文の精神にふれ、静かに心ゆくまで、味わってみたいものです。

平成30年8月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第26回 『公明正大』こうめいせいだい

心が潔白で曇りがなく、正しく堂々としているさま
「公明」は私心のないこと、隠し立てしないことの意
「正大」は論語(朱熹)の注に見える。「子路の学、己に正大高明の域に(いた)る」とあり、孔子の弟子の子路は極めて高く立派な学者の域に到達している、と評している。

楽しい素読

司馬(しば)(ぎゅう)君子(くんし)()う。()()はく、「君子(くんし)(うれ)えず(おそ)れず。」()はく、「(うれ)えず(おそ)れざる()(これ)を君子と()うか。」()()はく、「(うち)(かえ)りみて(やま)しからずんば、()(なに)をか(うれ)(なに)をか(おそ)れん。」
   「論語」顔淵第十二

大意
司馬牛が、仁者というのはとても及びもないものですから、それよりも一段と低い君子というのは一体どんな人が君子でございましょうかといった時、孔先生が、君子はくよくよと心配もしないし、(おそ)れもしない。これはその当時司馬牛の兄の桓魋が大変な勢力で乱を起し、ついには失敗に終ったのですがそういうふうに兄が危いとされているものですから、孔先生はそれに引っかけていわれたものらしいのです。司馬牛が非常に心配ばかりしておったのでしょう。それで心配する必要もない。(おそ)れもしないのだ、といわれた時に、それだけで君子といえるでしょうか。やはり不思議に思ったのでしょう。それで孔先生が、自分自身省みて少しもやましいところがないのだから、心配したり、おそれたりする必要はないのではないか。自分自身正しいことをやっておって、仰いで天に()じす。伏して地に恥じないような生活をしているなら、何もくよくよと心配苦労をする必要はない。こういわれた。

平成30年8月1日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第25回 『弊衣破帽』へいいはぼう

破れた着物や帽子のこと。転じて身なりにかまわないさまをいいます。
お洒落(気の利いた服装や化粧に心掛けること)に対する反語=蛮カラ(わざと汚い格好をして人目を引く)
※外目より人間の中身だ…という自己主張。

楽しい素読

()()はく「(やぶ)れたる褞袍(おんぽう)()孤狢(こかく)()たる(もの)と、()ちて()ぢざる(もの)は、()(ゆう)なるか。(そこな)はず(むさぼ)らず、(なに)()ってか()かざらん。」
子路(しろ)終身(しゅうしん)(これ)(しょう)せんとす。()()はく「()(みち)は、(なん)(もっ)()しとするに()らん。」
    「論語」子罕第九

大意
孔先生が弟子の子路をほめられたのです。
破れた綿入れを身につけて、狐、(むじな)の衣を着ている人と立って話をしていても、少しもこちらで劣等感をもたないのは子路ぐらいな者であろうか、詩経の中に、金持だから威張るでもなく貧乏だからといって恥ずかしいこともない。それが最高にいいことなのだという文句があると、詩をひいて子路の徳を褒められたわけで子路は大変喜び、これは先生のいいお話を伺ったといい、終身これを口ずさんでいた。孔先生が申されるには(励まして)道というものは、それだけではいいとはいえない。もっとやらなくてはと戒められた。

平成30年7月15日
素読のすすめ 四字熟語から名詩名文を訪ねる
第24回 『天衣無縫』てんいむほう

詩や文章が自然で美しくできていること。
人柄が飾り気なく、純真のことのたとえ。
昔、郭翰(かくかん)という人がいて、夏の夜、庭で寝ていると天から天女がひらひらと舞い降りて来て「私は織女です」と名のりました。郭翰がその美しい着物をよく見るとどこにも縫い目がないのです。わけを尋ねると「天女の着物はもともと針や糸で作ったものではありません」。と答えたといいます。「天衣」は天女の着物、「無縫」は縫い目が無いこと。
天女の着物に縫い目がないように、出来た文章に技巧の跡がなく、完全で美しいことをいう。転じて飾り気がなく、素朴で純真な人柄のことをいいます。

楽しい素読

孔子(こうし)(しゅっ)す、原憲(げんけん)(つい)()げて草沢(そうたく)(うち)にあり。子貢(しこう)(えい)(しょう)たり。(しか)して()(むす)()(つら)藜藿(れいかく)(おしひら)窮閭(きゅうりょ)()り、(よぎ)りて原憲(げんけん)(しゃ)す。(けん)弊衣(へいい)(かん)(ととの)へて子貢(しこう)()る。子貢(しこう)(これ)()じて、()はく、夫子(ふうし)()()まんか、と。原憲(げんけん)()はく、()(これ)()く、(ざい)()(もの)(これ)(ひん)()ひ、(みち)(まな)んで(おこな)(あた)はざる(もの)(これ)(へい)()ふ。(けん)(ごと)きは、(ひん)なり。(へい)(あらざ)るなり、と。子貢(しこう)()じ、(よろこ)ばずして()る。終身(しゅうしん)()(げん)(あやま)ちを()ずるなり。
  孔子全書「史記」仲尼弟子列伝第七

○原憲、(あざな)は子思、孔子の弟子。清静にして節を守り、貧にして道を楽しむ。
○子貢、端木賜(たんぼくし)、子貢は(あざな)、孔子の弟子。言語、弁説に巧みで、財をふやすことに長けていた。
○駟を結び騎を連ね…四頭の馬を車に結び、従者を引き連れて
○藜藿、ここでは貧しい集落の意。
○窮閭、むさくるしい里。貧しいちまた。

大意
孔子の死後、原憲は隠遁(いんとん)として草深い沼沢(しょうたく)に住んで道を楽しんでいた。子貢は、衛の国の大臣に栄達して、四頭立ての馬車に乗り、従騎を引き連れて、草深いむさくるしい里を通過した折、そこに隠棲(いんせい)する原憲に挨拶しようと立ち寄った。原憲は、やぶれた衣冠をととのえて子貢と会見した。子貢は、原憲のみすぼらしいなりを見て恥ずかしく思い、あなたともあろう方がどうしたのだ。病んででもおられるのか、と言った。これに対して原憲は、わたしは、財の無いのを(ひん)()い、道を学んでも実行できない者を病と謂うと聞き知っている。自分は貧ではあるが、病ではない(つまり貧しくはあるが、学んだ道を実践して楽しんでいる)といった。これを聞いて子貢は、己を()じて心よからず別れて行き、生涯、自分の失言を()じた。

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