素読のすすめ 第24~28回
第四章 友情
管仲(かんちゅう)と鮑叔(ほうしゅく)のまじわり、転じてきわめて親密な交わりをいう。
―管仲は若い頃貧乏であった。鮑叔と一緒に商売をして自分の方が多く利益を取ったが、鮑叔は管仲が貧しいからと理解した。戦争に三度行って三度とも逃げ帰ったが、鮑叔は管仲を臆病者呼ばわりしなかった。管仲には年老いた母がいるのを知っていたからだ。また、管仲が鮑叔のためによいことをしたつもりが、かえってかれを窮地に陥れたことがある。だが、鮑叔は管仲を愚か者呼ばわりしなかった。ものごとは、うまくいく場合とそうでない場合があるのを心得ていたからである。
後に、大政治家となった管仲は「我を生む者は父母だが、我を知る者は鮑叔なり」と深く感謝した。―
大意
貧しい時の交わり 杜甫
手のひらを上に向ければ雲となり下に向ければ雨となる
このようにくるくる変わる軽薄さは数えたてて問題にするまでもない
諸君見たまえ、管仲と鮑叔の貧しい時の交わりを、この交わりの道を、今の人は泥のように捨てているではないか。
○杜甫…盛唐の詩人、字は子美、号は少陵、初唐の詩人杜審言の孫で、原籍は襄陽(今の湖北省襄陽県)であるが、生まれは河南省鞏県。二十歳の頃から天下を周遊し、李白とも進行を結んだ。彼の詩には、動乱の社会の現実に対する強い怒りと、しいたげられ翻弄される民衆への深い同情の念がこめられている。
飾り気がなく、まじめで、体も丈夫なこと
「質実」は質朴(しつぼく)誠実を簡略にした。飾り気なくまじめ。ここでは、内容(中味)が充実していると解す。
「剛健」は「易経」(五経の一つ)の乾(けん)の卦に「大いなるかな乾や、剛健にして中正、純粋にして精なり。」(乾の卦は偉大である。強く正しく、純粋でまじり気がない)とある。
「孟子」滕文公章句下
大意
景春という人が曰った。「五ヶ国
語釈
○公孫衍……魏の人で、常に五ヶ国の宰相の印を腰に
○張儀……魏の人。連衡策を講じた。
○大丈夫……一人前の男を丈夫という。丈夫の中でも特に傑出した男を大丈夫という。
○一怒……公孫衍や張儀が一度怒ると。
○安居……じっとしていて、何も言わぬ。
○天下熄……天下の兵乱がやむ。
○広居……広い所、仁をさす。仁の中にいれば、天下にも恥じず、人からも愛され、これ程、広々した所はないから。
○正位……中正な、正しい位置。礼をさす。礼に立って事を行えば、常に中正であるから。
○大道……人のふむべき大きな道で、義をさす。義は人の踏むべき正しい道であって、義を行えば誰はばかる事のない大道であるから。
○志を得……望み通り大いに用いられる時には。
○之に由る……之とは上の仁、礼、義の徳をさす。
○其の道……仁、礼、義の道
○淫……心をとろかし、まどわす。
○移……其の節を変える。
○威武……権威や武力。
○屈……其の志をくじき、まげること。
※本文は、古来しばしば、演説講演に引用せられるほど有名であります。今日われわれも素読によりくり返し音読を重ね、このような調子の高い名文の精神にふれ、静かに心ゆくまで、味わってみたいものです。
心が潔白で曇りがなく、正しく堂々としているさま
「公明」は私心のないこと、隠し立てしないことの意
「正大」は論語(朱熹)の注に見える。「子路の学、己に正大高明の域に
「論語」顔淵第十二
大意
司馬牛が、仁者というのはとても及びもないものですから、それよりも一段と低い君子というのは一体どんな人が君子でございましょうかといった時、孔先生が、君子はくよくよと心配もしないし、
破れた着物や帽子のこと。転じて身なりにかまわないさまをいいます。
お洒落(気の利いた服装や化粧に心掛けること)に対する反語=蛮カラ(わざと汚い格好をして人目を引く)
※外目より人間の中身だ…という自己主張。
「論語」子罕第九
大意
孔先生が弟子の子路をほめられたのです。
破れた綿入れを身につけて、狐、
詩や文章が自然で美しくできていること。
人柄が飾り気なく、純真のことのたとえ。
昔、
天女の着物に縫い目がないように、出来た文章に技巧の跡がなく、完全で美しいことをいう。転じて飾り気がなく、素朴で純真な人柄のことをいいます。
孔子全書「史記」仲尼弟子列伝第七
○原憲、
○子貢、
○駟を結び騎を連ね…四頭の馬を車に結び、従者を引き連れて
○藜藿、ここでは貧しい集落の意。
○窮閭、むさくるしい里。貧しいちまた。
大意
孔子の死後、原憲は